短編小説

ゆめのそばでゆめをみる

2018年02月25日 23:33

​​

 学校から帰って玄関のドアを開けるとそこには普段見慣れない靴が一足。不思議がりながらちょっとうれしい予感がして靴を脱いだあとで居間に行くとそこに親戚のお姉さんがいた。お姉さんといってもわたしのお姉さんではなくて、親戚のお姉さん。お母さんのいとこ。おばあちゃんの妹の娘さんなの。

「ただいま。お姉さん、いらっしゃい。今日はおばさんは一緒じゃないの?」

 わたしがそう言うとお姉さんは振り返り、お母さんはわたしのところまで来て、両手を肩に置いた。

「おかえり。鞄置いてきなさい、お姉さんがお話があるって」

「こんにちは。今日はちょっとお願いがあって来たの」

 なんだろう? わたしがお母さんとお姉さんの顔を交互に見てると、お母さんが苦笑いして「さぁ」と言うので部屋へ行ってカバンを置いてきた。居間に戻るとテーブルにさっきはなかったオレンジジュースとケーキがあってお母さんが用意してくれたみたいだった。ケーキはさっきまでお母さんとお姉さんも食べていたみたいで空のケーキ皿とティーカップがふたりの前にある。

「ケーキを買ってきてくれたのよ。お姉さんにお礼を言いなさいね」

「ありがとう、お姉さん。それで、さっきのお願いって何?」

 わたしは自分の分のケーキが置かれているお母さんの隣の席につくとお斜め向かいの姉さんの方を向いて言った。お母さんはわたしの言葉が終わるのを待ってさりげなくお姉さんと自分のカップに紅茶を注ぐ。ガラスのティーポットの中の赤い花びらと香りでわかったけど、これはお母さんが特別な時のために買ってるバラの紅茶だ。まだ子供だから飲んだらダメっていわれるけどこの香りは大好き。

「あのね、私、結婚することになったの」

「本当!?」

 わたしはびっくりして立ち上がってテーブルに手をついた。ガタンってテーブルの上のものが揺れた。お母さんは「こら。何やってるの」と肩を掴んで座るように合図した。わたしは恥ずかしくなってうつむいて椅子に座り直す。

「えっと、お姉さんはお嫁さんになるの?」

「そうよ。それでね、結婚式に出てもらおうと思って来たんだけど、そこでお願いがあるの」

「お願い……。なんだっけ、えっとブライド・メイドだっけ? それ?」

 わたしがそう言うとお母さんとお姉さんはお互いの顔を見て笑いだした。

「それはもうちょっと大きくなってからかなぁ」とお姉さんはカップを手に取ってお茶を一口飲んだ。

「どこでそんな事を覚えたのよ?」お母さんはわたしの顔を覗き込んで言う。

「お父さんとお母さんがテレビで見てた映画で言ってたよ。ほら、外国のやつ。友達同士が花嫁になる友達のブライド・メイドにどっちがなるか喧嘩してた」

「わたしもその映画、見てたよ。けど、お願いしたいのはちょっと違ってね」

 お姉さんは携帯電話を出しておめかしした外国の女の子の写真を見せてくれた。その女の子はハートのかたちした小さなクッションを持っている。

「リングガールをお願いしたいの」

「リングガール?」

 わたしは写真がよく見えるように携帯電話を覗き込んだ。目を凝らしてみるとクッションには小さくてわかりづらいけど指輪乗っているのが見えた。

 リングって指輪のことだよね。指輪のコマーシャルで聞いたことがある。でも、ちょっとピンとこなくて顔をあげると笑顔でわたしを見ているお姉さんと目が合った。

「結婚式で指輪の交換ってあるでしょう? その時に花嫁さんと花婿さんに交換する指輪を渡す女の子のことなの。それをね、やってほしくて。どうかな?」

「わたしが?」

「うん。やってもらえないかな?」

 わたし、結婚式って行ったことがないんだけどテレビで見た結婚式を色々思い出していた。そんなのがあるんだ。知らなかった。

 親戚の人たちやお姉さんやお姉さんのお婿さんの友達がたくさんいるところで、見せてもらった写真みたいな格好で指輪を渡すんだよね?

 少し恥ずかしいし、失敗したら怖いけど、お姉さんの結婚式ならわたしやってみたい!

 わたし、お姉さんが大好きだし、結婚式は特別な日だって言うしそれなら何かしてあげたいもの。

 お姉さんは笑顔を崩さず、お母さんは少し不安そうにわたしを見ている。お母さんはわたしが「いや」って言うかもって不安なのかな。でも、なんて返事をするかは決まったいた。まだどんなことかちょっと想像つかないけど、でも、お姉さんが喜んでくれるなら答えは決まってる。

「わたし、やりたい! あの、その、やらせてください!」

 わたしはそういってお姉さんにお辞儀をした。

 すると、お母さんは胸をなでおろして安心した顔をして、お姉さんはわたしのところまで来て「ありがとう!」って抱きついた。

「よろしくね! 詳しくはまだ決まってないから今度話すとして、一緒に服を選んだりいろいろあるけど、親戚でいちばんかわいい子にお願いしたかったからよかった!」

 お姉さんがそういうと、わたしは急に照れくさくなった。「かわいい」なんてあんまり言われたことなかったから。だから、なんだかそわそわして落ち着かない気持ちになったからテーブルの上で待ちぼうけになってるケーキをそっと食べ始めた。

 席に戻ったお姉さんとお母さんが今度ははしゃぎはじめてなんだか子供みたいでおかしくって、今度はわたしが笑顔でふたりを見ていた。だけど、すぐにすごいことを引き受けたんだと気がついてケーキを食べていたけれど、どんな味かまでは頭に入ってこなかった。きちんとわたしにできるのかな?

​​

​​

 結婚式は5月なんだって。ジューンブライドっていって6月が結婚式に人気の時期だそうだけど、結婚式場がどこも混んじゃうからってその前の時期にしたってお姉さんが言ってた。

 4月になって学年が一つ上がったわたしの新学期最初の日曜日。わたしはお母さんと一緒にお姉さんに会いに出かけた。先週お姉さんからお母さんに電話があって、今日は結婚式で着る服を決めるんだって。

 お母さんの車に乗って出かけたのは街にある貸衣装屋さん。結婚式とか特別な日に着る服を貸してくれるお店で、お姉さんもウェディングドレスをここで借りるって着いてからお店の人を待ってる間に教えてくれた。今日はお姉さんのお母さん――わたしのお母さんのいとこ――も一緒。今日はわたしの服を決めるのに勢揃いで少し照れくさくなった。

「お待たせ致しました。今日はリングガールのお嬢さんの服を決めるんでしたね。本日はよろしくお願い致します」

 そう言って、髪の毛を束ねて黒いスーツを着た小柄な女の人がわたしたちが待っているテーブルにやってきた。スーツには名札を付けてあってそこにはお店の名前と「スタイリスト」という言葉と名字が書いている。スタイリストって衣装を着せてくれたりやお化粧をしてくれる人だよね。この人がわたしの着る服を一緒に選んでくれるのかな? お姉さんが「お店の人と一緒に服を選ぶ」って言ってたもん。

「先日はありがとうございました。彼も服が決まって安心してました」

「新郎様は迷われてましたものね」

「彼がご迷惑をおかけして」

「いえいえ、こちらも仕事ですから。満足されていたようでわたくしとしても嬉しいです」

 なんだかお姉さんとスタイリストさん、親しげに話してる。新郎さんってお姉さんが結婚する相手の人の事だよね。そういえばまだ会ったことないや。今日は来てないのかな?

「さて……」

 スタイリストさんはわたしの方を見た。なんかすごいきれいな人。芸能人って会ったことないけど、こんな感じなのかな? なんか、すごく華やかでお人形さんみたいだから。

「リングガールをされるお嬢さんですよね? はじめまして」

 スタイリストさんはわたしの方をみてにこって微笑んだ。やっぱりすごくきれいでわたしは緊張してドキッとした。

「は、はい! よろしくおねがいします!」

 慌ててわたしは立ち上がってお辞儀した。あんまり慌てていたので椅子に足が当たってが倒れそうになったのをお母さんがあわてて押さえた。「こら、落ち着きなさい」ってこの間、お姉さんがうちに来た時みたいにわたしの肩を掴んで座るように合図した。わたしはなんだか恥ずかしくなってうつむきながら椅子に座り直した。

「こちらこそよろしくおねがいしますね」

 そう言ってスタイリストさんはわたしのちょうど向かい側のお姉さんとおばさん――今日一緒に来てるお姉さんのお母さん――の間の誰も座っていなかった椅子に座った。そして、抱えていたカタログをテーブルに置いて最初のページを開いて確認すると、向きを変えてこちらに見せた。

「最近、リングガールを親戚の子にお願いされる方が増えましたよね。大事な役目だからおもいっきりかわいい服を選びましょうね」

 スタイリストさんはさっきと同じようにわたしの顔を見て微笑んだ。わたしは少し照れくさくなって顔を下に向けた。その時に、スタイリストさんの開いたページが目に入った。結婚式の写真だとは思うんだけど、花嫁さんと花婿さん、牧師さんだけじゃなくて、真っ白なドレスを着て頭にはと花の冠を着けたわたしより少し年下くらいの女の子が一緒に写っていた。女の子はすこし緊張した様子でこの間、お姉さんに見せてもらった携帯電話の中の写真にあったみたいな指輪をのせたクッションを花嫁さんと花婿さんに差し出している。そして、ふたりと牧師さんは笑顔で女の子を見ている。最初にお姉さんがわたしに見せてくれたリングガールだけの写真では指輪を渡すって事はわかったけど、渡す時にどんな感じかまでは想像がつかなかった。けど、この写真を見てどんな感じかはっきりわかった気がする。

 わたしは写真に夢中になっていたみたいで、お母さんに肩をぽんぽんと叩かれてスタイリストさんが何か話していることに気がついた。お母さんはそんなわたしに「もう、この子ったら」と困った感じに笑っている。

「あ……。ごめんなさい」

「イメージはつかめたかしら?」

 スタイリストさんはとても優しい言い方でわたしに訪ねた。

「はい。この間、お姉さん――」

「あ、わたしです。他のいとこたちより年が若いので」とお姉さんはスタイリストさんに小さな声で説明する。他のおかあさんのいとこはおばさんって呼んでるけど、お姉さんだけはお姉さんって呼んでるからね。

「はい、お姉さんに写真を見せてもらったけど、リングガールの子だけだったからどんな感じかよくわからなくって。でも、お姉さんとお婿さんに指輪を渡す時にこんな感じなんだってわかって楽しみになりました。あ、でも、親戚のひとたちがいっぱいいるから緊張するかも……」

「それは大丈夫ですよ。当日、きちんと本番前に練習しますから」

 スタイリストさんは優しい笑顔でわたしの目を見て言った。

「まずは、どんなドレスを着るかを選ばないとね」

 お姉さんは楽しそうに言う。

「このカタログに載ってるドレスは全部お店にありますから、ここから選んでいきましょう」

 スタイリストさんはわたしの手の届く場所までカタログを差し出した。カタログにはたくさん付箋が貼ってあって、お母さんから電話でわたしの服のサイズを聞いてわたしが着られるものが載ってるページを調べておいてくれたんだって。「いつの間に」って思ってお母さんをちらっと見たけど、ちょっと嬉しい。

 付箋の貼っているページを一つずつ見てそこに乗っているドレスを見た。写真の中で着ている女の子もちょうどわたしと同じくらいの年の子だから実際にどんな感じだろうって想像もしやすい。実はこの間、お姉さんに見せてもらった写真もこのカタログの最初のページの写真もわたしより小さい子だったからわたしが着るのに幼すぎる服ばかりじゃないかって心配だったんだ。

 どのドレスも着てみたくてすごく迷う。あの写真みたいにお姉さんとこれから旦那さんになる人――まだどんな人か会ったことないから知らないけれど――に喜んでもらいたいという気持ちと、せっかくだからかわいい服を着たいという気持ちがいったりきたり。

 わたしは「うーん」ってうなったりしていたらスタイリストさんが見かねたのかわたしの手にそっと触れた。

「写真だけだと迷うでしょうから、まずはどれか着てみましょうか? 例えばこのページのとか」

「はいっ!」

 わたしが返事をするとスタイリストさんが立ち上がってわたしの所まで来て椅子を軽く引いた。その合図でわたしが立ち上がると、お店の奥の服が沢山ハンガーに掛けてあるところに手を向けた。

「さっそく行ってみましょうか」

 スタイリストさんがそう言うとわたしはお母さんの方をちらっと見た。

「せっかくだから二人でいって好きなの選んできなさい。お母さんが行くと色々言いたくなっちゃうから」

 そう言うと、お母さんは来てすぐにお店の別の人が用意してくれたコーヒーを一口飲んだ。そんなお母さんの言葉に緊張しながらわたしはスタイリストさんに手を引かれて子供向けの衣装のある場所に向かった。

 ほんの短い距離だけど、カタログの服を着ている自分を想像して色々楽しみな気持ちでいっぱいになっていた。スタイリストさんはそんなわたしの様子を見てなんだか満足そうだった。なんだろうとってもワクワクしてる。こんな気持ちになるのははじめてかも。

​​

 この日、わたしはスタイリストさんが付箋を貼ってくれたページの服を全部試着した。本当はすぐに決まるかなって思ったんだけど、あれも着たいこれも着たいってなって気がついたら全部だったんだ。でも、なんとか一つに決めることができてそれを着てお姉さんたちのところに行ったらみんなわたしの選んだ服を気に入ってくれたみたい。

 お母さんは時間がかかり過ぎだって呆れていたけど、似合うって言ってくれたからうれしかった。

 それと、お姉さんは「かわいい!」って言ってすごく喜んでくれた。携帯電話で何枚も写真を撮って別の結婚式の準備で今日は来ていない花婿さんに送ってた。わたしはなんだかすごく照れるけど、結婚式が楽しみでしょうがなかった。

 4月に貸衣装屋さんでドレスを選んでから、わたしがお姉さんの結婚式のためにすることは特になかったんだけど、時々、お姉さんはわたしを食事に誘ってくれた。最初にお姉さんと一緒に食事に行った日にお姉さんのお婿さんを紹介してくれた。最初は無表情で少し怖いって思ったけど、話してみるととても優しい人みたいなのとよく冗談を言う人だった。わたしはまだ子供だから結婚するってよくわからないけど、二人を見てるとお姉さんはお兄さん――お婿さんの事をこう呼ぶことにした――はとても仲良しなんだなってわかる。結婚式の日までに何度か会ったけどお姉さんはお兄さんの前ではおばさんやわたしの前ではしないような顔をたくさんした。結婚するのは家族や友達とは違う意味で特別に好きな人とするものだって言うのを聞いたことがあるけど、そんなお姉さんの様子を見ていてその特別がどんなものかまだよくわからなくてもすてきなものなんだなって感じた。

​​

 今日はお姉さんの結婚式の日。わたしとお父さん、お母さんは他の親戚の人達よりも早く結婚式の会場のホテルに到着した。リングガールをするわたしはドレスや指輪の準備をしたり本番の練習をしたり花嫁さん、花婿さんと同じくらいの時間に行く必要があるんだって。

 わたしは花嫁さんの控室でドレスに着替えさせてもらった。お姉さんも同じくらいの時間に来ていたんだけど、お友達にお手伝いをお願いしていてその打ち合わせで別のところにいるみたい。だからその間、控室はわたしとスタイリストさんとお母さんの三人だけだった。

 スタイリストさんに手伝ってもらいながらドレスに着替えた時に髪の毛も整えてもらって、色んな色の花を編んだ冠をつけてもらった。特に髪飾りの話はしてなかったんだけど、服を決定した後に資料として撮った写真を見ててわたしが写真で気になっていた様子だったことを思い出して「似合うかも」と思って用意してくれたんだって。それを聞いたらなんだかうれしくなって髪のセットが終わった後で立ち上がって鏡に色んな方向から自分を映して見てみた。

 そんなわたしの様子を見ると「なんだかお姫様みたいね」と言ってお母さんもうれしそうだった。わたしはなんだか照れくさくなって「えへへ」って笑った。そうしているとホテルの人がわたしたちを呼びに来た。これからホテルの人や牧師さんとリングガールの入場の練習をするんだって。リングボーイは準備できてるからすぐ来てくださいって。

 お母さんはその話を聞いてバッグを持つとすぐに式場に行くようにって手を引いた。

 リングボーイがいるなんてその時はじめて聞いたからわたしは少しびっくりした。ホテルの人とエレベーターの中で話したんだけど、リングボーイはわたしと同い年でお兄さんの親戚の子なんだって。何も教えてもらわなかったけど、リングガールをわたしにお願いするのはお姉さんのアイディアで、お兄さんも特に考えずにわたしからふたりとも指輪を渡すみたいだったけど、先週ふと思いついてお兄さんの甥っ子さんにやってもらえないかを聞いてみたんだって。急だったからサプライズみたいになっちゃったけど、男の子は普通に出席するのもリングボーイするのもそんなに格好が変わらないから大丈夫だったみたい。

​​

 ホテルの中の結婚式場の入り口のところは結婚式のない日は喫茶店やバーになるみたいで、客席がいくつもある。わたしは普段、予約席として使われている奥の個室に案内された。そこはリングガールとリングボーイの控室になっていて、リングボーイをする子が先に来ていた。

 わたしはリングボーイの顔をみるとびっくりして少し大きな声で「あっ!」って言った。一度、目をパチパチしてもう一度、ジュースの入ったコップを持ってる男の子の顔を見た。その子はうちの近所に住んでいるクラスメイトだった。

『どうしてここにいるの!?』

 わたしとリングボーイの子はまったく同じタイミングでそう言った。すこしの間を置いてまるで打ち合わせでもしたかのように声が重なったことがおかしくなってお互いに笑った。

「花嫁さんがわたしの親戚なの」

「すごい偶然だね、花婿はぼくのおじさんなんだ」

「さっき、ホテルの人に聞いたよ。花婿さんの甥っ子にお願いしたって」

 わたしはびっくりして少し頭が混乱しているけど、とりあえず落ち着くためにリングボーイの座っている椅子から小さなテーブルを挟んで隣の椅子に腰掛けた。ホテルの人がメニューをくれてほしい飲み物を聞いてくれたから、アップルジュースをお願いした。

「ホテルの人に聞いたけど、君だって知らなかった。びっくりしたよ」

「それはぼくも一緒だよ」

 お互いに顔を見てやっぱりおかしくなって笑った。そんな様子を見てわたしに笑いかけながらホテルの人はわたしの隣にジュースを置いた。

 ときどきホテルの人の声が聞こえたりオルガンの練習の音がかすかに聞こえたりするけどわたしたちのいる控室はすっかり静かになっていた。

 そんな静かな中で、少し心細くなってリングボーイに話しかけようかと思ったけど、何を話していいかわからなくてわたしは黙っているしかなかった。結婚式に出席する人たちがここに来る前に入場と花嫁さん花婿さんの前まで歩いて行くのを練習するって聞いていたけど、いつまでもその時間がなんて来ないんじゃないかって思うくらい時間が進むのをゆっくりに感じる。

 わたしは顔を上げた。するとわたしがみている向こうには鏡が置いてあってドレス姿のわたしとタキシード姿のリングボーイが映っていた。さっきまではしゃいでいたけど、改めて自分の姿を見るととても緊張した。

 そして、クラスメイトで普段学校で一緒のこの子がお兄さんの甥っ子さんだって知ったびっくりで忘れていた事を思い出した。だって――親戚の誰かにはそうからかわれるんだろうけど――わたしたちもなんだか小さな花嫁さんと花婿さんみたいに見えたから。そんな事を考えてるうちにわたしはそわそわしてきた。

「さぁ、おふたりさん。練習の時間ですよ。チャペルへどうぞ」

 鏡に映った自分たちの姿にそわそわして戸惑っていたわたしを助けてくれたのはさっきここにわたしを案内してくれたホテルの人だった。

 わたしはドレスの裾が変にならないように慎重に立ち上がった。リングボーイはズボンだと楽なのかわたしより少し早く立ち上っていた。顔を見るととても緊張してる。

「今日はよろしくね」わたしは緊張と鏡を見た時のそわそわを振り払うように思いっきりの笑顔でそう言った。

「うん!」リングボーイも笑顔になった。

 そして、どうしてかはわからないけどわたしたちは握手をしてお互いに前を向いていた。

「これから、リングガールとリングボーイのおふたり、そちらへ案内します」

 ホテルの人は胸ポケットにつけたトランシーバーのマイクに向かってそう言った。多分、他のところにいる人と連絡を取ってるんだと思う。

 それは、今日のわたしたちのお仕事が始まる合図だった。

​​

​​

 ホテルの人に呼ばれてチャペルに来たわたしたちにとってこの練習は一度きりのチャンスだった。しかも、お手伝いしてくれるお友達との打ち合わせの関係で花嫁さん花婿さんとは別に練習だったから、余計に不安になる。ホテルの人も牧師さんも「合図をするから大丈夫」とは言われたけど合図を忘れたり気が付かなかったりしないかとても心配。

 最初、チャペルに着いた時に牧師さんが入り口で待っていてくれた。牧師さんは外国の人で映画に出てくる結婚式のシーンに本当にいそうな感じ。わたしもリングボーイも英語も他の外国語も話せないからパニックになったけど、「こんにちは。今日はよろしくお願いしますね」と外国の人の喋り方ではあったけどわたしたちと同じくらい日本語を話せるみたいで安心した。

 一度きりの練習でわたしたちは本番で間違えたりしないように慎重に一つ一つを確認していった。本番ですることは指輪をリングピロー――指輪の乗るクッションをそう呼ぶってホテルの人に教わった――に乗せて赤い絨毯が敷かれた真ん中の通路を歩いて花嫁さん、花婿さんのいるところに運ぶ。わたしは指輪を花嫁さん――つまりわたしの親戚のお姉さんに渡して、リングボーイはおじさんである花婿さんに指輪を渡す。それからお辞儀をしてそれぞれお父さん、お母さんのいる席に行ってお仕事は終わり。やることはとても単純だし間違えないとは思うんだけど、やっぱり何度考えても緊張する。今日はお姉さんとお兄さんの特別な日だから、花嫁さん花婿さんとして過ごす大事な日だから、間違えられない。

​​

 わたしたちは練習が終わって戻ってきたお姉さんとお兄さんとリングボーイの四人で最初に案内されたチャペル横の控室にいた。最初、リングボーイとリングガールだけだと思ってたら花嫁さんと花婿さんの控室でもあったのはびっくり。お陰で余計に緊張しちゃうよ。どうしよう。

 お姉さんとお兄さんはわたしたちが緊張してるのを気にかけてくれたのか、色々と話しかけてくれる。わたしはそのおしゃべりを緊張を忘れられないままだけど楽しんでいたけど、リングボーイは完全に固まってる。そして、そんな風に気にかけてくれるお姉さんとお兄さんもちょっとした瞬間に緊張してた顔になるのを隠せないでいる。つまり、わたしたち四人はみんな緊張してここにいる。みんな、なんだけど多分お姉さんとお兄さんの方が緊張してるんだろうな。だって一生に一度のことだもん。リングボーイはわからないけど、わたしは他にもお姉さんと同じくらいの年頃の結婚してない人がいるから他にもチャンスがあるかもしれない。だからといってもこれが最初で最後かもしれないし、それ以前にやっぱりわたしたちがするのは一生に一度の特別な日の人のためのお仕事だから、気楽じゃないしドキドキする。やっぱりお姉さんとお兄さんには今日が幸せな思い出になって欲しいもの。

 四人でおしゃべりをして緊張を紛らわしていた時間の終わりは突然やってきた。

「そろそろ、新郎様とリングガールとリングボーイのおふたりの出番ですが、よろしいでしょうか?」ホテルの人が一度、控室の様子を覗いてから入ってきた。

『はい!』

 わたしとリングボーイは立ち上がって同時に返事をした。お姉さんはそんなわたしたちを見て少し笑った。お兄さんは優しい笑顔でわたしたちふたりを交互に見て立ち上がった。お姉さんは改めてわたしたちの方を見て「あとでね」と言った。

「さぁ、こちらへどうぞ」

 ホテルの人に案内されてチャペルのドアの前に来た。お兄さんはネクタイの位置を確認して深く息を吐いた。緊張してるよね、やっぱり。

 今度はわたしたち以外に誰もいない。さっき、チャペルの前や普段喫茶店の客席になってるテーブルにたくさん人がいたのを控室から見た。中にはわたしのお父さんとお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんもいた。その人たちは今、全員、ドアの向こうのさっきわたしたちが練習をしたチャペルにいる。みんなは今日、お姉さんとお兄さんをお祝いするためにやって来たんだ。

 わたしたちはこれからそのお手伝いをする。大好きな人と一緒に暮らす最初の日が幸せな思い出になるためのお手伝い。

 結婚ってわたしはまだ子供だからずっと先のことだしよくわからなかった。でも、初めてお兄さんに会った日、結婚式直前の時間を過ごすふたりの姿、わたしが見たのはほんの少しだけど、ふたりの間に言葉にできない何か特別なものがあるのがわかる。多分、お互いを好きって気持ちはそういうことなんじゃないかな。

 ドアの前にやってきてホテルの人からリングピローを受け取るまでのほんの少しの時間。わたしは緊張して唇を震わせてるリングボーイの手をそっと握った。そんなわたしの手も震えてる。大丈夫、きみだけじゃないよ。ふたりで力を合わせて精一杯お祝いしよう。口では言わなかったけれど、リングボーイの目を見て心のなかでつぶやいた。伝わったみたいでリングボーイは少し落ち着いた様子をわたしに見せる。

 わたしは自分も落ち着けたからそっと手を離した。でも、リングボーイとはお互いの顔を見たまま。

 今日は花嫁さんと花婿さんの特別な日。大好きな人との生活の始まりの日。

 その「大好き」の意味の半分くらい、もっと少ないとは思うけど、多分、わたしもお姉さんがずっと昔に経験した気持ちを見つけた気がする。

 わたしは口元を緩めて思いっきりの笑顔を作ってリングボーイの目をしっかりと見た後、前を向いた。

 そして、さっき呼ばれたときみたいにわたしたちは同時に深呼吸をする。

 ホテルの人はわたしたちにリングピローを渡した。リングピローはカゴにまくら――ピローってまくらって意味だって教えてもらったからクッションよりまくらって呼んだ方がいいよね――が乗っていてそこにリボンで結ばれたきれいな指輪が乗っている。リングピローと指輪はわたしとリングボーイが持ってるものは同じデザイン。だけど、わたしの持ってる指輪のほうが大きい。それはお姉さんがお兄さんにあげる指輪を渡すのがわたしの役目だから。お兄さんの手のほうがずっと大きいからね。

「それでは。ただいまから入場です」

 わたしたちを迎えに来た人とは別のホテルの人が左右それぞれのドアの前にいて、同時に両方のドアを開いた。

 ドアの向こうにはわたしたちがさっき練習したときとはとても同じ場所とは思えない光景が広がっていた。さっきは誰も居なかった通路の左右にある参列者席にはたくさんの人が座っていた。わたしとお姉さんの親戚の人がいる。あとの知らない人は多分、お兄さんの親戚の人やふたりのお友達だと思う。

 お兄さんとわたしたちはまっすぐ前を向いてチャペルの奥にいる牧師さんのいる場所を目指して歩き始めた。

 一歩一歩、慎重に足を進める。お兄さんとリングボーイの歩幅に揃えるように気をつけながら。右と左、両方に並んでいるお兄さんとお姉さん両方の親戚や友達のひとたちがわたしたちを優しく見守っている。

 わたしたちは牧師さんのいる場所の前にある短い階段の前まで来た。ここでわたしは階段の前で左、リングボーイは右に立ち止まる。お兄さんは階段を上って右側に立った。わたしとリングボーイはお互いに向き合うと姿勢を正した。わたしたちがそろうとざわざわと声の聞こえていたチャペルが一瞬で静まり返った。

 耳のそばをふんわりした何かが駆け抜けるような感じがする。静かになった瞬間は不思議。何も聞こえないのに「静か」って名前の音が聞こえているみたい。とても気持ちのいい時間だけど、少し怖い感じがする。

 そして、わたしたちが入ってきてから一度閉められたドアが開いた。参列者席の人達が一斉にドアの方を向いた。わたしは打ち合わせではリングボーイと向かい合わせのままなんだけれど、どうしても気になってわたしたちはみんなと同じように開いたドアの前にいるお姉さんを見た。

 きれい……。控室ではなかったベールを身に着けている。付添人をしてくれているというお姉さんのお友達が長いスカートを持って歩くのを手伝っている。真っ白なドレスはチャペルの窓から入ってくる陽の光でキラキラと輝いている。まるでおとぎ話のお姫様みたい。

 参列席の人達がお姉さんの頭の上に花びらを放り投げて、お姉さんがその花びらの降る道を歩いている。フラワーシャワーというそうだけど、花びらの香りに少しずつ包まれてきて緊張は解けないけどとても気持ちのいい雰囲気にチャペル全体が変わっていく。

 わたしの前まで来るとお姉さんは他の人に見えないように小さくわたしに向かって手を振った。そして階段を上がって花婿さんの前まで来た。牧師さんがわたしたちに目配せをする。それを見るとわたしはリングボーイと目を合わせて小さくお互いにうなずいた。

 わたしたちは階段の下から花嫁さんと花婿さんの一つ下の段まで上がる。そして、わたしは花嫁さんに、リングボーイは花婿さんにリボンを解いてそっとリングピローに乗せた指輪を差し出した。

 花婿さんがまずリングボーイから指輪を受け取る。牧師さんの合図で花嫁さんは左手を差し出し、花婿さんは薬指に指輪をはめる。その間、花嫁さんは花婿さんを見つめている。

 そして、今度はわたしが指輪を差し出して花嫁さんはそれを受け取る。そして、自分がしてもらったのと同じように花嫁さんは花婿さんの左手の薬指に指輪をはめた。

 わたしはふたりをじっと見つめている。本当はここでお父さんとお母さんのところに戻るんだけど、控室でお姉さんから間近で見届けてほしいってお願いされたからわたしとリングボーイはここにあと少し残るの。

「それでは近いのキスを――」

 これまで緊張で耳に入らなかった牧師さんの言葉が初めてはっきりと耳に届いた。

 花婿さんはベールを上げて花嫁さんのおでこに口づけをした。わたしはそんなふたりを息を止めて、心臓をドキドキさせながら見ていた。

 おめでとう、お姉さん。多分、お姉さんの方がわたしよりもずっとドキドキしてると思う。でも、幸せそう。「結婚の誓いを見届けてほしいの」ってお願いされてこうして本来のわたしたちの出番より長くここにいるけど、わたしはお姉さんが幸せになるのを祈ってるからね。

 お兄さん、今日からよろしくね。親戚が増えるってあんまりピンとこないけど、仲良く慣れたらうれしいな。

 わたしはふたりの姿に見とれていてぼーっとしていた。そんなわたしにホテルの人は肩をトントンと軽く叩いて今日のお仕事の終わりを教えてくれた。

 わたしは思わずリングボーイの方を見た。同じように別のホテルの人が呼びに来てるところだった。

 わたしたちはそっと参列席にいるそれぞれのお父さんとお母さんのところに向かった。

​​

 結婚式のあとにはパーティーがあった。ウェディングケーキにふたりでナイフを入れたり、キャンドルサービスといって花嫁さんと花婿さんがテーブルをまわってろうそくに火をつけたり。わたしが昨日までで結婚式と聞いてイメージするものはパーティーの時間にやるものなんだね。

 親戚の人のお祝いのスピーチとか、お姉さんやお兄さんのお友達のカラオケとか、いろんな出し物があってそれからみんながお話しながらお食事する時間になった。おばさん――お姉さんのお母さんでわたしのお母さんのいとこ――があいさつに来てくれたり、他の親戚の人がお話しにわたしたちのいるテーブルに来たりした。わたしもお母さんと一緒にお姉さんとお兄さんにお酌をしに行ったりもした。なんだかとっても賑やかな時間で楽しい。さっき、リングガールをしたときは緊張しっぱなしだったからね。お母さんとお酌をしてテーブルに戻ろうとしたときにわたしはお母さんに別のところに行かせてほしいとお願いをした。

 わたしは給仕さんから瓶のオレンジジュースを一つもらった。わたしはジュースと一緒にもらったコップ二つを持って花婿さんの親戚のテーブルに向かった。そこにリングボーイとそのお母さんがお食事をしていた。わたしはお邪魔じゃないかなと少しためらったけど、「お疲れ様」って言いたかったからやっぱり挨拶しに行くことにした。

「こんにちは」

 わたしは少し照れながら挨拶をした。リングボーイのお母さんが先にわたしに気がついて「こんにちは」と返してくれた。リングボーイはお母さんに肩を叩かれて気がついて「あっ」とだけ言った。その様子が少しマヌケな感じがしてわたしは笑ってしまった。お母さんと一緒なのに悪かったかな?

「あの、ジュースをどうかと思って」

 わたしはジュースの瓶とコップを前に向けて差し出した。リングボーイはお母さんの方を見る。

「お母さん、これからおじさんのところに言ってくるからお友達とお話してなさい」そう言ってリングボーイのお母さんは花婿さんのところに行った。

 テーブルには他の親戚の人がいなかったからわたしはリングボーイとふたりきりになった。わたしはそのことに気がつくと少しそわそわして、とりあえずリングボーイの隣に腰掛けた。テーブルの上にコップを置いてその両方にオレンジジュースを注ぐとわたしはリングボーイの顔を覗き込んだ。

「今日はお疲れ様」リングボーイはにこって笑って言った。

「君もお疲れ様」わたしはコップを持って乾杯の合図をしながら言った。リングボーイももう片方のコップを持ち上げた。そして、ふたりでコップを鳴らして乾杯した。

 花嫁さんと花婿さんの席を見ると大人の人達が楽しそうに話してるのが見える。リングボーイのお母さんもいて、チャペルでわたしたちの向かい側に居た人だから多分、花婿さんの親戚の人たちだよね。あれだとしばらくは盛り上がって戻ってこないかも。そんな様子をみてなんだか安心してリングボーイの方を見た。

 わたしたちはそれからいつも学校でしてるような他愛もないおしゃべりを始めた。男の子には興味がないものなのか花嫁さんきれいだったねとかそういう話は出てこなかった。わたしはそんな事に少しがっかりしながらも、偶然ふたりきりになったこのテーブルでいつもの学校と変わらない話をするのがとても楽しく思えた。

 花嫁さんと花婿さんの叶えた夢のお手伝いをした後、ずっと考えていたのはこの時間だったから。大人の人達にはまだこのテーブルに戻ってきてほしくない。今日の主役のふたりが叶えた夢のかけらをわたしも見ていたい。できれば、オレンジジュースの乾杯がその始まりになって欲しい。

 わたしはリングボーイの目をじっと見ていた。

「どうかしたの?」リングボーイはおしゃべりを止めてわたしに言った。

「なんでもないよ」わたしは笑いながら言う。

 リングボーイは困った顔でわたしを見てる。男の子は女の子より子供でいる時間が長いってテレビで言ってたけど本当みたいだね。

 今は特別なおめかしをしながらいつものおしゃべりで十分だけど、いつかは気がついてほしいな。とにかく今はまだわたしだけの夢を叶ったばかりの夢のそばで見ていようかな。それがいつまでかは多分、もう少し大人になってからのことだろうけどね。

Recent Stories