ショートショート

祭りに揺れる

2009年04月12日 14:18

 ずいぶんと時間が経ってしまった。会ったことのある回数はまだ両手で数えられるほど。

 決意みたいなものはもたもたしてるとどこまでも揺らいでしまうもの。だから、際限なく自分を追い立てて。そう、両方とも自分だけど、猟犬が兎を追い詰めるように。容赦なく、容赦なく。

 着慣れない浴衣。まだ軽さになれない春先の薄着。会うときはいつだってよそ行きだ。 つまりわたしがどんなものか、向こうがこちらをどう見ているかに関わりなく普段着を見ていない人にどうわたしを知ってもらう?

 そして、今日のこの薄着はわたしを不安に引っ張っていく。夏の終わりのあの甘みとぼさぼさした味気なさ。面白いくらいにあの日を象徴している。

 喉の奥に重たく冷えた感覚。本当にそれを感じているんじゃなくて、心がそう解釈しているって言う事だ。胃のあたりから喉笛のあたりまで鋭くこみ上げてくる。

 この苦しさに負けてしまわないように鎖骨の辺りに拳を置いて息を止めてみる。

 よし、落ち着いた。大丈夫。わたしは大丈夫だ。

 だけど、またこの感触に負けそうになった時は同じ方法で収められるだろうか?

 この服だとおさげは似合わない。あの時はおさげをぐいっと引く事でどうにかできていたから。

 意気地とかそういうのがやっぱりどんな時も重要なんだろうけど、そんなの急ごしらえなら悲惨なだけだ。だけど、覚悟、これは大事。

 春の祭りはやっぱり静かだ。おとなしい。考えるにはちょうどいいかもしれない。昼は薄紅色の花が今は照明のせいか白くうっすらと浮かび上がるようでなんだか怪しげ。

 あの夏祭りはこんな白々とした頭上の景色はなかった。あの祭りは目よりも耳に印象がある。

 りんご飴。甘くておいしいのは外側だけ。食べれば食べるほどぼそぼそしている。みかんやあんずの方がおいしい。正直言うとみかんが好きだ。だけど、あの時のあまりもの、売り切れたみかんやあんずの代わりだったけど、それよりもおいしくはないけど、それでもどうしてもりんご飴を選んでしまう。

 味とかそういうのを求めてるんじゃない。あの時。買うときの感触を思い出すためだ。

 ほんの一瞬だったけど、あの手と手。お目当てがない事を告げる短い会話。ふだんなら通りすがりの人を商店街での無意識の指名手配に変えてしまうほどのインパクトを持っていた。

 気がついた。これだって。ギャング映画のように至近距離から胸に銃弾を撃たれた様にわたしの退屈百パーセントは見事に粉々に砕かれた。

 もうはっきり言ってしまおう。これ、恋って奴だ。好きって事だ。

 祭りなんて来るまで、友達に誘われるまで気にしないくらい季節行事に疎いわたしはあれからこの街の祭りの少なさを嘆くようになった。

 秋にやって、冬にやって、ちょうど季節に一回それと余分少しくらいだけど、それでも足りない。そう思わずにはいられない。

 あの祭りになると飴屋を出す商店街の八百屋。あの店の一人息子にわずかなお金を渡してみかんよりずっと大きい串刺しの艶を纏ったりんごを受け取る時のあの一瞬の手と手の感触。串刺しの割り箸が邪魔に思えてもそれがないとその瞬間は存在しないこの瞬間。わたしは一日限定の飴屋の兄さんを見る。兄さんは小銭を見てる。その時に息が震えているのがわかる。あの感触は怖くて苦しい、そう水に沈められたように苦しい。だけどもっとほしい。この苦しい時間がもっと長くたくさん欲しい。

 だから興味を持ったりしなかった、アイスクリーム以下だと思ってた串刺しの果物をまるで好物であるかのように何度も何度も食べるようになった。目的は八百屋に足を止める事。果物ではなくて跡取りの兄さん。配達でいなければそれはがっかりしるものだ。

 こうして、苦しさを求めて迂回になる商店街を学校帰りに通り抜け。友達との約束に現れる時には細長く切られたパインやメロンがお供。友達の誰もが果物好きだと思っているけどその裏を見てたりはしない。そんなものだと思う。

 こうして交わす言葉を増やしたんだ。どんどんどんどん増やして。名前はお互いに知らないのが弱いところだけど、それでもどんな話題がいいかも分かりつつある。

 父さんが買い置きしていたペットボトルの水を一気飲みしてありもしない喉のつまりを押し流す。まだ残りはあるから再び鞄の中へ。ちょうどいいぬるさだ。

 今は友達とわざとはぐれて人ごみにうまくまぎれながら姿を少しずつ隠して飴屋へと向かう。この人ごみは流れの強い川のようでそれをかきわけて進むわたしはさながら鮭。焼きそばやお好み焼きののソースの匂い、焼き鳥のたれと炭の匂い、飴屋はこの祭りじゃ本当にひっそりとしているかもしれない。だけど、その方がかえって助かる。みんなが行きたがるのならばこうして友達からはぐれるのも上手くいかない。見つかりかねない。

 濁流を進みながらわたしは祭りごとの飴屋の定位置へと近づいていく。とはいえ、商店街の店は新しく出来たりなくなったり、的屋の人たちも来たり来なかったりで一定じゃないから、変わっていてもおかしくない。慎重に並ぶ店を確認していく。同時に定位置になかった場合にどうやってはぐれながら探すのかを考える。そして、無邪気な人がひっきりなしに流れるやっぱりこの急な川。今のわたしはありえないくらい頭も感覚も働かせている。

 あった。いつもとはやっぱり少しずれてる二軒分くらい?

 だけど、兄さんが見当たらない。どうして?

 あ、いた。濁流の中に見える後姿が一つだけすごく目に付く。どうしたんだろう? でも、どうすべき? 追いかける? このままはぐれ続けて戻るのを待つ? 頭の回転はこれ以上早くできるのかは分からないけれど、さらに考えるべき事を増やしてみる。

 偶然を装うのがスマートだろう。設定は? そうだ、今は友達にははぐれたふり、これを兄さんにも使う事にしようか。

 だったら急ぐべきだ。鮭よりはここはスピードが重要。サッカー選手がちょうどいいくらいか。

 人ごみの間を縫って。そして、ここでは右側に沿っていく事にしよう。左側からさっきはぐれた友達が歩いて来るのを見た。探し物をしている様子だったからわたしを探してるんだろう。うまく逃げないといけない。

 慎重に兄さんを追いかける。見つからないように見失わないように。

 兄さんはどんどんどんどん歩いていく。わたしはどんどんどんどん近づいていく。

 なんて声をかけよう。時折冷静になろうものならそんな事を考えてしまい、足を進めているのに息が止まる。ただ歩いているだけなのにマラソンをしているようだ。そして、出店の列の最後を右折。わたしもそれに続く。曲がれば友達を警戒する必要がないから安心材料が一つ。さぁ、あと少しだ。

 出店の裏。路地に出れば祭りのにぎやかさがウソみたいに静かだ。この路地には照明が当たってないからあまり桜が見れないっていうのも大きいのか少なくとも夏祭りよりは少ない。

 兄さんはさかさまにしたビールケースに座って、焼きそばを食べ始めた様子だった。まだわたしの存在には気がついていない。出店では楽しそうに威勢のいい兄さんが今は別人のようだ。それはそうだ。商売してない時まであれだったら疲れるだろうし、周りの人からしてみても困ったもんだと思うはずだ。

「お……」

 ただなんとなくだろう、顔を上げた時に兄さんはわたしに気がついた。

「ども」

 わたしは飴の中のりんごの様に味気ない挨拶をする。

「なしたの? こんなとこで」

「あー……。友達とはぐれて探してたら人に酔っちゃって」

 わたしはなんとなく笑ってごまかすように言ってみる。

「田舎者」

 兄さんはちょっとうざったい言い方で笑ってわたしをそう呼んだ。

「自覚してる」

「まぁ、俺もだけどな」

 そう言って兄さんは傍らに置いていたタッパを出す。そして、わたしのところまで来てそれを差し出す。

「食えよ。多く持って来すぎた」

「何これ?」

 蓋を開けるとパインがぎっしり詰まっていた。

「商品じゃないの?」

「あまりもの」

「ふーん」

 とりあえずわたしはパインを一口食べる。甘酸っぱい。いや、酸っぱい。

「お前、果物好きだよな」

「んー」

 酸っぱい。甘酸っぱい酸っぱいってくらいがちょうどいいくらいの味だ。パインの事だけど、兄さんの目の前すごく近くにいるわたしもだ。

 甘くなればそいつはミラクルだ。だから、思い切ってみてもいいんじゃないかとも思う。

「まぁ、果物より兄さんが好きだけどね」

 そして、タバコを吸ってるいけ好かないオッサンの深呼吸みたいに酸っぱさの排ガス、つまりたまりにたまった息を吐く。

「お前、何言ってンの?」

「マジで」

 兄さんはわたしを見下ろす。わたしは兄さんを見上げる。みごとな身長差。わたしの目つきの慎重さ。空気は出店の壁を隔てた祭りの余震で揺れている。

「彼女がいないんなら付き合って欲しいんだ」

 兄さんは直立不動でわたしを見てる。

「お前……」

 兄さんはわたしの前の地面に視点をずらした。だけど、わたしは余計に目に力を込めた。

「徹夜平気が?」

「は?」

「俺、明日休み。だから、ちょっと夜中にドライヴしようかと思ってな。一人じゃつまらんし」

「行く! うん、行く!」

 うちの親は早寝だからこっそり抜ければ大丈夫だろう。これは、いいんだよね? わたしの思いたい通りに思っても。

「じゃあ……」

 兄さんはわたしのほっぺたを軽くつまんだ。なんだ?

「一時でどうだ?」

「大丈夫! 親、その頃には寝てるし問題なく抜け出せる」

「わかった」

「気の利いた事、言えないけど、仕事中だし……」

「いいよ。じゃあ、一時にそっちに行くね」

「お!」

 わたしは去り際、兄さんに抱きついた。「楽しみ!」って言いながら。

 顔を上げたら兄さんは顔を赤くしていた。

 そして、にぎやかな通りに戻った。するとちょうどいいタイミングで友達に合流した。いや、見つかった。

 急にわたしの目に見えるものが全部、入れ替わった気がした。さっき兄さんと一緒にいたのとは違う世界に住んでるみたいに。そう、兄さんと一緒の世界とそうじゃない世界を切り替えてあの夏からわたしは生きてるんだ。

 次にスイッチを切り替えるのは日付が変わってから。

 そして、スイッチを戻したこの瞬間に不安になることは一つ。

 あれが妄想だったら嫌だなって事。

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