ショートショート

静寂のキャンドルサービス

2009年12月14日 2:00

 家につくと僕はソファーに腰掛けて手に息を吹きかけた。

 ずいぶんと底冷えする冬の入り口の日。さすがに透き間風はないにしても、この家は古いから暖房を入れないと外の寒さを正直に伝えてくる。

 今日の朝の回覧板を見ていなければ、さっさと暖房を入れたい。だけど、それはできない。よりにもよって今日みたいな寒い日にやらなくていいと思う余計なことのせいで僕は家にいるのに凍えなければならないんだ。

「寒いなぁ。暖房つけないの?」

 ドアの音がしたと思えば僕の真上から気の抜けた声がする。僕は呆れた顔でその声の主を見上げる。そこにいるのは見慣れた顔。

「朝、言わなかったっけ? 今日停電あるんだよ」

「停電?」

「うん。忘れてた?」

「ああ、そっか。停電とかあんまりピンとこなくてな」

「これだから都会人は……」

 僕は分かりやすく呆れたような態度を取ってそう言った。

 相手は二ヶ月くらい前からこの家に住んでる居候だ。

 山間のこの小さな村にやってきた医者の息子で、そのお父さんもここに住んでいる。ここに来る前はかなり大きな街に住んでたらしい。

 居候は不満そうな顔をしながら僕の隣に座る。僕はそれに合わせて立ち上がった。

「どうしたんだよ?」

「準備。明かりがないとどうしようもないだろ?」

「そうか」

 この村ですら久しぶりの停電だ。都会ではほとんどないんだろう。ずいぶんとのんびりして状況を理解できていなさそうな居候を横目に僕は戸棚へと向かった。ここに懐中電灯が置いてある。

 戸棚の扉を開けて僕は懐中電灯を手に取る。そのときだった。僕たちのいるこの居間の照明が消えた。

「停電?」

「始まったね」

 居候は不安そうな声をあげた。僕はそれとは対照的に落ち着いている。

「暗いな。何にも見えない。街灯とかも消えてるのか……」

「当たり前だよ。何言って……あれ?」

 僕は居候があまりに当たり前の事を言うものだから苦笑いして言葉を返そうとしたど、それと同時に点けようとした懐中電灯に違和感を感じた。

「どうした?」

「点かない……」

 僕は何度か懐中電灯のスイッチを上下させる。だけど電球は明かりを灯さない。

「電池が切れてるみたいだ」

「え?」

 居候は僕の言葉に不満そうな返事をする。僕はそんな奴の方を見たけど、真っ暗で何も見えない。これが月が十分に出てる日なら窓からの月明かりで少しは見ることが出来るんだけど、月もずいぶんと欠けているはずだから怖くなるくらいに静かだ。

「いつまでなんだ? 少し待てば復旧するんだろ?」

 居候は不安そうな声で言う。見えないけれどきっと何かを恐れるような間抜けな顔をしているんだろう。

 顔を見てやりたいのに出来ないのが残念だけど、僕は今日の回覧板の内容でさらに不安にさせてやることにした。

「朝までだよ。明日の午前7時復旧予定」

「うそだろ!?」

「本当だよ」

「なぁ、ろうそくとかないのか?」

「あるよ。それを取りに行く為の懐中電灯なんだけどね」

「どこにあるんだよ?」

「地下の物置」

「それって……」

「君がジャングルって言った場所だよ」

 僕がそう言うと、居候は肩を落としてがっかりしたようだった。

 暗くて見えないのに肩を落としたと分かるのは衣擦れのせいだ。つまり、それだけ大きな動きだって事。

 このまま朝まで暗闇の中で黙っているのも歓迎する気になれないけれど、ジャングルというのが的を射ていると言いたくなるほど物で溢れた地下室からおおよその場所が分かっているとはいえ、ろうそくを取りに行くのはやはり気の進まないことだった。

​​

 地下室に着くと僕は心細くなって何も見えないというのにあたりをきょろきょろと見回した。地下というのは土のような独特の匂いがして空気も辺に柔らかい。肌や鼻の感じる感覚の違いが不安をかきたてる。

 それと、どういうわけか着いてきた居候の存在にも不安を感じる。

 地下室にはハシゴで降りるわけだけど、その一番上の段にあるスイッチを何の意味もないのにカチカチとしたり、なんの断りもなしに僕の腕をつかんだりと、停電や暗闇に慣れてないからとはいえ見事に僕をイライラさせてくれる。

 そもそも、今ここにいる中で地下室のどこに何があるかわかるのは僕だけだから、手助けなんて不要なんだ。それにこうして他に誰もいない状況っていうのは……。

「なぁ、それにしてもどうしてろうそくを前もって上に持っていかなかったんだ?」

「何それ、責めてるの?」

「そうじゃねぇよ。トゲのある言い方するなぁ」

「叔母さんも先生も回覧板来た時には家を出てたし、今回はその前に何の知らせもなかったし、僕は僕で学校終わってから忙しかったし。帰って来たのも君と同じくらいだったんだ」

 叔母さんというのはこの家の家主。僕の育ての親の事だけど、叔母さんも先生――居候のお父さんも朝が早い。居候本人が話を聞いてなかったようだし、僕しか知らなかった上に僕だって忙しいんだ攻められても困る。

「忙しかったって。……ああ、そうか」

「それだよ。それより手動かしてる?」

「ああ、動かしてますとも。それにしてもここまで暗いとどうしていいものやら……」

 居候はぶつくさとやっぱり不満そうに小声で何かを言う。今、僕はろうそく、彼はマッチを探している。

 それとは関係ないけど、僕はため息をついた。忙しかった。忙しいって立場もなかなか辛いもので、はっきり言って嫌じゃないにしても今日はすごく疲れてたんだ。

「どうした?」

「昼のことでね」

「『デート』の?」

「そう、『デート』」

「『王子様』も大変だな。うらやましい気はするけどな」

 居候はからかうように笑いながら言う。明かりさえあればすぐにでもそばに駆け寄って脚を蹴ってやりたくなった。僕の苦労も知らずに……。

 僕はこの村にある小さな学校で「王子様」と呼ばれている。僕の容姿のせいでそんな特殊な立場に友達の間では置かれているんだけど、その「王子様」としての役割が僕を疲れさせていた。

 簡単に言うと、ここで一緒に育った女の子ばかりの友達ひとりひとりと交代で「デート」と称して恋人ごっこをするというものだ。あくまで「ごっこ遊び」、誰一人として本気なわけではないけれど、「いつか来る本物の恋の為の練習」なんだそうで本人達は真剣そのものだ。いつの間にかそんなことになった僕の日常にこの頃、丈夫なはずの僕も疲れてきている。

「まぁ、その気がないのにってのは大変ではあるよな」

 空気か何かで僕が機嫌を軽く損ねていることに気がついたのか居候はそう訂正した。

 会話をしながらも、僕は――少なくとも僕は――目的の物を探している。場所は分かってる。だけど、今いる場所が性格にその場所なのかは分からない。

 だけど、手や足で恐る恐る探していると作り付けの台の上にある棚の位置を見つけた。その時の目印になった使い古されたスピーカーに足をかけて上って手を伸ばす。

 あった。ろうそく。あと、マッチもある。よかった。不案内な居候に任せずに済む。

「見つけ……あっ!」

 居候に知らせようと振り向いた時だった。僕は上に乗っていたスピーカーごとバランスを崩して落ちてしまった。

「っ!」

 体が浮くような落ちるとき特有の変な感覚が僕に襲ってくる。落ちる時間なんてそれほどかからないはずなのにずいぶんと長く感じる。そして、十分に下に落ちたであろう瞬間、何かが僕を受け止めた。

「無事か? 見えないもんで様子が……」

 居候の声だ。彼がとっさに受け止めてくれたらしい。真っ暗で何も見えない上に、もし失敗してたら自分まで怪我をしてたかもしれないのに。なにはともあれ、助かったみたいだ。

「無事だよ。ありがとう」

 そう言って、僕は立ち上がろうとした。だけど起き上がった瞬間に足に違和感を感じた。二、三回足踏みをすると足首に痛みが走るのが分かる。土台にしていたスピーカーが倒れたみたいだったからその際にひねったらしい。

「どうした?」

「足、捻ったかも」

「は? 大丈夫か?」

「何とかね。無事、ろうそくもマッチも見つけたし行こうか」

「……なら、いいけど」

 居候は声のトーンを落としてそう言う。

「……!」

 そして、次の瞬間、起き上がった僕は居候に捕まえられ、元の受け止められた体勢になった。つまり、抱き上げられてるという状態。

「な、なにすんだよ!?」

「怪我してるかもれないんだろ。運んでいってやるよ」

「いらない! 離せよ!」

「いいから言うこと聞きなさい。足捻ったかもれないのに梯子上れるか? 『王子様』に怪我されたら俺が何て言われるか」

「だからって、デリカシーってもんが!」

「いいだろ? 『王子様』なんだし。それにしても、お前、軽いな。これなら運ぶのも楽だ」

 居候は愉快そうに笑う。僕ははっきり言って不機嫌だ。けど、それ以上に困るって言うほうが正しいかも。その理由をこいつは気付いてるのか?

「あと、ろうそくあるんだろ? マッチもか? だったらそれ、点けてくれないか? さすがに暗闇の中はしんどい」

「いいけど?」

「頼んだ。あ、でも、気をつけてろよ? 火傷も火事も勘弁だからな」

「大丈夫だよ。ティーキャンドルだから」

 そう言って僕はティーキャンドルが沢山入った袋を振って音を聞かせる。

「じゃあ、頼んだ」

 僕はそっとマッチを擦って袋から取り出したティーキャンドルに火をつける。芯に火が静かに灯る。

「じゃあ、行くか。気をつけろよ」

「そっちこそ」

 居候は優しげな口調で言う。僕は少し声に動揺を隠せないのが自分でも分かった。

 ティーキャンドルはゆらゆらとやさしい光であたりを照らす。僕は居候に抱きかかえられながら見られないように慎重に明かりから自分の顔を避けた。

 どんな顔をしてるかは少なくとも今は見られたくない。

​​

 動揺をした状態で僕は居間まで運ばれた。居間に着くとLの字型に並べられたソファの大きいほうに座らされる。そして、僕をここまで運んだ居候は僕からティーキャンドルを取り上げテーブルに置いて、さらにそこに二つ袋から取り出して火を点ける。

 ぼうっと優しい色の光が広がっていく。さっきまで何も見えないほど暗かったのが嘘みたいだ。

「大丈夫か?」

 少しの間、ろうそくの光を見ていた居候は急に振り返って僕の顔を覗き込む。僕はそれ急なことだったせいで強い動揺を感じた。しかも、多分それは顔に出てる。

 ついさっきまでここに運ばれてきた時の感覚が僕の頭の中で再生される。体温とか腕に入る力だとかそういう服越しに伝わる感覚が。

「うん……」

 僕は他にどう答えていいのか分からずそっけない返事を返す。

「このこと、誰にも言うなよ……」

 慌てて言葉を捜してようやくその言葉を搾り出した。動揺を隠すどころか動揺してるということがずいぶんと分かりやすい言葉だけども。

「あ、ああ、そうだよな。王子様に『お姫様抱っこ』じゃあ、誰に怨まれるか」

 居候は「さも面白いこと」であるみたいに言う。本人はそのつもりなんだろう。

 こっちからしたら悪い冗談にしか聞こえないし、そういう意図ではないわけだけど。

「まぁ、お前は『王子様』なわけだからな」

「そうだね」

 僕は声のトーンを落として言う。「王子様」と呼ばれる事が今日ほど嫌に思える事はない。こいつに言われるのだけは。

「とはいえ……」

 居候は僕の隣に座る。距離は近い。抱き上げられた時の事をより強く思い出して僕の胸は熱くなる。お願いだ。こっちを見ないでくれ。大体、僕がどう思っていようと君から見た僕は「この村の王子様」なんだから。

「俺には『女の子』だけどな」

「え?」

 居候は予想だにしない言葉を僕に告げた。

「大体、よそ者の立場から言わせてもらうと男がいないからってその代わりなんてのもどうかと思うんだよ。もったいないなぁって」

 僕が動揺してるのをきちんと理解してそれでいて、それを面白がる様子で居候は僕の顔を覗き込む。しかも、すごく近い。

 僕は無駄だと分かってるのに同様を隠そうと機嫌悪そうに睨み付ける。

「当たり前だろ。僕は生まれた時から女の子だよ」

「知ってるっての」

「忘れられてるかと思った」

「そんなわけあるか」

 居候は急に笑い出した。僕はそんな居候に腹が立って無事な方の足で蹴飛ばした。

「何すんだよ!?」

 僕はそっぽを向いて立ち上がった。痛めた方の足を微妙に浮かせながら窓の近くへ向かう。

 すごく動揺してる。すごく息が震えてる。余計なことを意識させられたせいだ。

 話し方とか身なりとか僕が「王子様」である理由は沢山あるし、別にそれ自体は嫌じゃないんだけど。そのせいで、僕が女の子でいられる相手がいないのはこの所、すごく嫌だったんだ。

 それもこれもこの居候のせいなわけで。でも、こいつは今、僕のことを「女の子だ」って言った。

「お前、分かりやすくこの頃疲れてたからな。『王子様』でいるのも大変だな」

 僕はいきなりすぐ近くで居候の声が聞こえて飛び上がりそうになった。気がついたらソファから僕の隣に来てたらしい。

「たまにはさ、そういう時はお兄さんに甘えなよ。こっちも心配なんだから」

 そう言って頭をポンポンとたたく。

 居候のその態度に僕はどういうわけか自分のいろんな物が急にコントロール出来なくなって涙が出始めた。声をあげるほどではない。でも、どんどん涙が出てくる。

 疲れとかそういうんじゃない、安心だ。僕を苦しめてるのは「王子様」でいることじゃなくて、「望む時に女の子でいられないこと」だから。でも、それは杞憂だったのかもしれないから。

「お前、いいやつだな」

 僕が反射に近いくらい咄嗟にそう言うと、やっぱり居候は笑っていた。

「『気にかけてる女の子』のことは心配するって」

「それって……」

 居候は僕が慌てて顔を見ると、とぼけるような顔であさっての方向を向く。

「なぁ、あのキャンドルって高いの?」

「え、いや、叔母さんがアロマ用に定期的に買って余ってるやつだからそんなんじゃ」

「よし、窓辺に並べるぞ」

「なんだよ、いきなり?」

「キレイな光景だぞ、きっと。それで、俺はここでデートのお誘いをするわけ」

「はぁ、意味わか……えっ!?」

 居候は悪ガキか何かの様にいたずらっぽい笑いを浮かべる。

 僕はその言葉の意味を理解すると思わず口で手を押さえて驚きを抑えようとする。

「その仕草、かわいいな……、と。それは冗談として――いかがでしょうか、お嬢さん?」

 ティーキャンドルの明かりで分からないとは思うけれど、僕の顔は今、真っ赤になってるはずだ。

 こいつ、僕の気持ちを知ってる。絶対に勘付いてる。それなら答えは一つだ。

「は、はい……」

 力なく僕は答えた。そんな言い方するつもりはなかったというのに。

 僕の答えを聞くと、居候は嬉しそうに「手を出して」と言う。僕はさっきからの恥ずかしさからかやっぱり気の抜けた様子で手を出す。その手に居候はティーキャンドルを置いて火をつけた。

 その明かりはとても綺麗で、僕はほんの少しの間だけ見惚れていた。そして、なんだか心が落ち着いていくような気がする。

「そうやって、俺の前では女の子でいてくれると嬉しいかな。王子様じゃなくさ」

 その言葉に僕はなんだか素直に笑顔になって頷いていた。

 きっと、これは僕とこの居候だけの秘密になるんだと思う。なんたって、僕にはしばらくは「王子様」としての需要があるんだ。

 短く切られた髪も、女らしさを感じないシルエットも、気がついたら話すようになってた男言葉も抜けないけれど、こいつに気がついたら見つけられてた女の子としての僕を見せていられるのは多分、ここだけ。

「静かだな……」

 僕は何となく防風林に囲まれた真っ暗闇に包まれた外を見た。僕たちが無言になると、外には本当に何もないみたいだ。そして、しばらくは秘密であろうこの時間がはっきりと輪郭を帯びていく気がした。

 居候の顔をじっと見た。向こうもこっちを見てる。王子様じゃない僕をここで過ごす時間になんだかゆったりとした安らぎみたいなものを感じた。

 そうすると、僕にとっての僕と僕にとっての居候がなんだかこれまでのものと違うと感じることが出来てそれが心地よい。

 この胸の奥がくすぐったい感じに救われそうだし、きっと、それに救われていくような気がして照れくさくなった。

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