短編小説

足音とクッキーのパーカッション

2008年04月30日 23:57

​​

 少しずつ高く。今年はこれくらいの高さに。

 毎年、伸び続けるわたしの背丈。今年はツリーの頂上まで。

 飾り付けの仕上げは必ずこれね。星の王冠をツリーの「王様」にプレゼント。

 色とりどりのモール。天使や雪の結晶のレリーフ。きらきら光る銀の玉飾り。小さなプレゼント。キラキラの星たち。レプリカのりんご。羽のお花。ほらほら、素敵な王様でしょう? 今年もわたしと踊ってくださる?

 わたしは夢を見るようにそれぞれの手できれいな銀色のモールをつかんでふわっと持ち上げて、そして、そっと離す。まるで、羽のようにモールは柔らかく王様の元へ戻っていく。

 それはちょっとした想像の舞踏会。本で見たダンスシーンをマネする遊び。

 手持ち無沙汰な両方の手を今度は耳にそっと当てる。何か聞こえるかしら? そうっと、耳を澄ませてみて。ほら、何か聞こえてこない? 聞こえるよね? これは雪たちのワルツ。

 冬はもうすぐそこね。だって、このワルツは雪たちの足音だもの。

 ……あれ?

 この足音はずいぶんと近いのね。もう一度。ほら、耳を済ませるの。

 ……やっぱり。やっぱりそうだ。

 やってくる。雪たちがすぐそこまでやってきてるわ!

 わたしはあわててベランダへと向かう。だけど、それはそっと。雪たちがびっくりしてしまったら大変だもの。びっくりしたらせっかくの初雪が逃げてしまう。

 息を潜めてベランダの窓を開けるとわたしは一度、目を閉じた。

 先生が学校で言っていたの。暗さの中の明るさを見るには一度、目を閉じて暗さに慣らすといいんだって。ふくろうの目というの。目だけじゃない。静かに深く息をしているから、呼吸も「ほぉ、ほぉ」ってふくろうみたい。

 さぁ、目を開けて。耳はもう見つけている。

 そっと、目を開けるとわたしは思わず息を呑んだ。目の前にはこの街にやってきたばかりの雪たちが心をゆだねないと聞こえてこない足音で空気を踏みしめる、素敵なダンスが広がっていた。

 もう冬なのね。そうね、クリスマスはもうすぐなのね。

 こんばんは、はじめまして! 今年のみんなはとっても素敵ね!

 わたしは冷たくて少しだけ痛いのを我慢して息を吸い込むと、回るように踊りながら降り注ぐ雪たちに挨拶をした。

 この瞬間があるから、わたしは冬が大好き。

 だけど、それだけじゃないの、もうひとつだけ理由がある。

 それはクリスマスがあるから。

 ツリーの飾りつけ、街を飾るイルミネーション、ケーキとクッキーのレシピ、お店に並ぶプレゼント用の包み紙。街中がクリスマスのしるしで溢れているから、いつだってドキドキしてとまらない。

 今年はママにクッキーの作り方を習おう。今年のサンタさんへのお返しは自分で作りたいの。

 うまくできるかな? サンタさんは喜んでくれるかな?

 わたしは眠っているから会うことはできないのね。だけど、どんなサンタさんかは知ってるの。

 目を閉じると浮かんでくる小さなころのクリスマス。サンタさんに会えた思い出があるのよ。

 さぁ、ママが帰ってきたらお願いしましょう。

 次のお休みはクッキーを教えて、ってね。

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​​

 わたしがあの子に会ったのは、今から四年前のこと。

 その年までクリスマスはなんだか置いてけぼりにされてたみたいで大嫌いだった。クラスのみんなはお父さんやお母さん、いろんな人と一緒に過ごすから幸せそう。だけど、わたしはいつだってひとりぼっち。看護師さんのママはいつだって忙しいし、わたしにはパパがいない。お友達はサンタさんがくれた、くまのサクラだけ。だから、ひとりぼっちで泣きたい時はサクラにそっと打ち明けていたけど、サクラはわたしが何を言おうと言葉を返してくれたりはしない。だから、結局、ひとりぼっちだってことを思い知ることしかできなかった。

 だけど、あの年の冬は何もかもがいつもとは違っていた。

 いつもと同じように、帰りの遅いママを待ってサクラを抱いたまま眠ってしまっていたら、誰かが窓をノックしてわたしを起こしたの。目を覚ましたわたしはすっかり寒くなったお部屋の中をふらふらと歩いて窓を開けたわ。少しだけ怖かったけれど、窓の外には素敵なことが待っている予感がしていたからね。

 そこにいたのはわたしと同じくらいの年の男の子。緑の帽子と上着、腰のベルトには小さなかわいらしいハンドベル。そんな不思議な格好の子だった。しかも、外国の子。男の子の髪の毛は透き通るようなカンジの金色で、目は吸い込まれてしまいそうな深緑色。肌だってママの持ってるシルクのスカーフみたいに白い。

 その子は私のことをニコニコしてみるとこう言ったの――

「よかったら、僕と遊ぼうよ!」

 ――って。

 その子はわたしの住む街から遠く離れた北の国にある村からやってきたんだって。

 おじいさんのお仕事はサンタクロースで、クリスマスの準備を手伝う為にこの街にやってきたんだって。

 その話を聞いた時、最初はなんだか信じられなかった。夢の中なんじゃないかとか、嘘つきの変わった子なだけなんじゃないかとか考えたりしてたから。夜遅くに窓に訪ねてきた男の子は確かに不思議だけど、子供のサンタさんだなんて信じるのはとっても大変よ。

 だけど、男の子の目を見ると少しだけ、「信じてもいいかな?」って思えてきたの。

 だから、わたしは男の子の差し出す手に引かれて窓をから外へ出た。

 今思えばそれはわたしが冬を大好きになる素敵な出来事の始まりだったのね。

​​

​​

 今日はママがツリーに驚く顔が見たくてずっと起きているつもりだった。

 だけど、わたしはまだまだ子供なんだなぁって思っちゃう。初雪を見れた嬉しさでワクワクしていたって夜は眠くなってしまうんだもの。

 今よりも小さな頃の事を夢に見ながらテーブルでウトウトしていたら、ママがわたしの頭をなでてわたしのことを起こしてくれた。

 わたしはついさっきまで見ていた夢の中と目の前のできごとが頭の中でかき混ぜられていて、少しだけママが帰ってきた事を理解するのに時間がかかってしまっていたの。

「ようやく起きたのね。ダメでしょ、こんなところで寝たりなんかして。風邪を引いたらどうするの?」

 ママはわたしの目をじっと見て言った。

 看護師さんのママは病気になることがどれだけ怖いか知っている。だから、ママにたくさん心配をかけたのかも。

「ごめんなさい。でもね、ママに見てほしかったから起きてたかったの。ほら――」

「――ツリーを出したのね。今年も素敵だわ」

「ねぇ見て。何か気づいたことはない?」

「気づいたこと?」

「そう」

 ママはツリーを上から下まで見て考え事を始めた。わたしは「気づいてくれるかな?」とか「早くママに教えてあげたい」とか考えながらそんなママの様子を眺めていることにしたわ。

「何かなぁ?」

「さぁ、何でしょう?」

 わたしは笑いながら、少し意地悪そうに首をかしげた。

「ママ、わからないなぁ。何か教えてくれない?」

 ママがわたしの顔を覗き込んでそう言うと、わたしは椅子から立ち上がって、さっきまで「王様」と呼んでいたのツリー前まで行った。

「実はね――」

 わたしは嬉しさが抑えられなくて口元を緩めながらツリーの方をそっと見た。

『てっぺんまで手が届いたの』

 びっくり。わたしが言うのとぴったり合わせてママがまったく同じことを言うんだもの。

 気づいてたのね。ママったら、意地悪なんだから!

 ……だけど、気がついてくれてとっても嬉しい。

「そうかぁ。ママの仕事、またひとつ取られちゃったわね。なんだかさびしいなぁ。……でも! 嬉しいな。ついこの間まであんなに小さかったのに、今じゃすっかりお姉さんなんだもの」

 そう言うと、ママはわたしのそばまでやってきて「大きくなったわね」と言ってわたしの頭をもう一度なでた。

 ちょっとだけ照れくさかったけど、とっても嬉しかった。

 そうね、わたしもすっかりお姉さんだわ。泣き虫のおチビちゃんだったあの頃とはきっと違う。

 あの頃とは違う高さで、今年もきれいに着飾ったツリーを見るとふわっと頭の中にさっきの夢の続きが浮かんできた。

 あの子はどうしているのかな? あの子もきっと背が伸びてるよね。わたしよりも大人になっているのかも。

 そんな考え事をしているわたしをママはやさしく抱き寄せてくれた。こうされると大きくなってもまだまだ子供ね、って思っちゃう。

 だけど、今日はなんだかいつもと違う感じ。大好きなママの事よりも、わたしは夢の中で思い出したあの子の事で頭の中がいっぱいだった。

​​

​​

 男の子に連れ出されて走り出すと、冬の冷たい空気でさっきまで眠っていたわたしの体はすっかり目を覚まし始める。 わたがしのように白くてほわほわした息を吐きながら、わたしは生まれて初めて子供だけで出かける夜の世界ではしゃぎまわっていた。

 夜に出かけたことなんてほとんどない。あったとしてもママと一緒。だから、子供だけで出かける夜の街にわたしはなんだかワクワクしてた。

 昼間とはぜんぜん違って、夜の街は時間が止まったように静か。深呼吸をすると音のない景色の中にそのまま解けてしまうみたい。

 その頃のわたしは体が弱くて冬の間は外で遊んだことなんてほとんどなかった。だから、雪の積もった地面の上ではうまく歩けなくて何度もバランスを崩して転びそうになっていた。

 男の子はそんなわたしを楽しそうに笑いながら見ていて、転んだりバランスをくずしたりするたびに手を貸してくれた。それが嬉しくて、最初は怖くて仕方なかった雪の積もった道も楽しくて仕方なくなってたの。

 だけど、どうしてあんなことをしようって考えたんだろう。5回目に転んだときにわたしは男の子にちょっとだけいじわるをした。

 伸ばしてくれた手を力いっぱい引っ張って、男の子を転ばせちゃったの。

 しかも、男の子は思ったよりも派手に転ぶものだから、わたしはびっくりして黙り込んじゃった。

 ケガしてないかな? もしかして、怒ってるかも! 気絶してたりしない!?

 わたしのすぐ横に倒れこんだ男の子が、しばらく動かなかったから心の底から不安になって顔を覗き込んだ。

 どうしよう。大丈夫かな……?

 イヤなドキドキでわたしはすっかり怖くなって、覗き込んでしばらくは目を閉じていた。

 頭の中を「どうしよう」でいっぱいにしながら、わたしは息を飲み込んでそっと目を開けた。すると男の子は仰向けに倒れたままでわたしのことをニコニコしながら見ていたの。

 男の子は「あははははは」って笑いながら、「びっくりしたよ。でも、楽しかった!」って言って起き上がった。男の子はなんだか嬉しそう。

 だけど、わたしは安心して体から力が抜けてたわ。本当にびっくりしたもの。

 男の子はそんなわたしにお構いなし。立ち上がると体についた雪をパンパンとはらっていた。

 怒ってないのかな?

 もしかしてだけど、転んだときに頭を打ったとか? だって、わざと転ばされてニコニコしてるんだもん。それだって、十分ありえる。

「あ、あの……」

 私は怖くなって、目をそらしたり合わせたりしながら男の子の方を見た。

 男の子は笑顔のまま、わたしの顔を覗き込む。

「なんだい?」

「ケガ、してない?」

「え? 全然。大丈夫だよ。雪の上で転んだってケガなんかしないよ。飛び込んだって平気さ」

 今度は男の子がわたしの顔を覗き込んだ。人差し指を立ててわたしの鼻に近づけながら。

 わたしはバツ悪さをカンジながら男の子の目を覗き込んだ。

「怒ってない?」

「どうして?」

「いじわるしたでしょ? だから、怒ってる気がして……」

「ただのいたずらじゃない! それに僕はしょっちゅう友達にやってるよ。こんなことで怒ってたら、毎日、怒り疲れちゃうよ」

「本当に怒ってない?」

「怒ってない。大丈夫だよ」

 男の子はわたしの目をみながら笑った。そんな男の子を見て私はようやく安心できたの。

 今、男の子が笑ってるのは私を安心させる為だってわかったから。

「ねぇ、そろそろ立たない? 雪の上に座ったままだと冷たいよ」

「あ、そうね」

 男の子はさっきと同じようにわたしに手を差し出した。しかも、「こんどは引っ張らないでね」って言いながら。わたしはそれを聞いて笑いながら「もうしないよ!」って返した。

 男の子の手を借りて立ち上がると、冷たくてのどの奥に貼りつくような夜の空気を吸い込んだ。

 やっぱり、男の子は笑顔でわたしの事を見てる。

「なんかわたしの顔についてる?」

「なんで?」

「だって、さっきからわたしの事見て笑ってるから」

「ううん。なにもないよ。けどね、楽しくてさ」

「楽しい?」

「だって、新しい友達ができたんだもん」

「え?」

 わたしは男の子の言葉にちょっとだけびっくりした。「新しい友達」ってわたしのことよね?

「僕は君と遊びたくてここまで来たんだもん」

 男の子の言葉にわたしはびっくりした。だって、そんなこと言われるの初めてだから。

 いつも、風邪を引いて休んだり、なんとなくお話する事が見つけられなくて学校で一人だったりするから、誰かにそんな事言われるなんて思ってなかった。

 びっくりしてなんだかドキドキしてきた。

「ね、だから行こうよ! 見せたいものがあるんだ!」

 さっきは手を引いてくれてたけど、今度は男の子はわたしの後ろに来て背中を押し始めた。

「きっと、びっくりするよ!」

 男の子に押されて少しずつ歩き出すと、わたしは寒い冬の夜空の下なのに、なんだかぽかぽか暖かくなるような気がしていた。実は男の子について外へ出たときから、わたしの頭の中の半分には不安がつまっていたの。でも、今はそれがだんだん楽しみな気分に変わってきたからなんだと思う。

 いったい何が待ってるんだろう? 不安とか怖いとかそんな気分はどこかに置いていきましょう。

 男の子がしてくれたように、今度はわたしが男の子の手を引いて走り出した。

 男の子は少しビックリしたみたいだけど、それ以上にうれしそうな顔をしていた。

 そんな様子を見ていると、何かが待っている気がしたの。それは何なのかは分からなかったけど、素敵なものだって事は分かる。だって冷たいけれど気持ちいい冬の空気が教えてくれていたんだもの。

 パジャマに着替えたわたしは、ベッドに腰掛けて窓から見える夜の景色を眺めていた。

 ふわふわした粉雪がそっと、まるで誰にも気づかれないための忍び足のように静かな夜の街に降っている。だけど、街がきれいな白で染まるにはまだまだかかるみたいね。

 雪が降るとどうしてこんなに静かになるんだろう? 世界のスイッチを誰かが切ってしまったみたい。

 わたしは目を閉じて雪たちの足音を聞いてみた。さっきはふくろうの目で雪たちのダンスを見たから、今度は耳の番。最初は何にも聞こえてこない。静かで、時間が止まったみたい。だけど、息を止めて耳に意識を集中するの。

 ほら、聞こえるかな?

 聞こえるでしょう?

 これは雪たちの足音。初雪に気がついたときよりもずっと多い。そして、もうひとつ聞こえてくるのは雪たちのひそひそ話。何を相談しているの?

「どこに積もろう?」

「木の上がいい?」

「屋根の上は?」

「僕はゆきだるまになりたいな」

「僕はかまくらがいいな」

「原っぱに積もってプールになろう」

「おーい、こっちへおいで! みんなで山になろうよ!」

 雪たちはみんなで相談をしているのね。

 なんだか楽しそう。だけど、大変な道のりね。これだけ広い街を小さなあなたたちが真っ白に染めるのは一苦労よね。だから、これ
からどんどん仲間がやってくるわ。早くみんなに会いたいな。

「本当に僕たちだけ? 本当はもっと楽しみなことがあるんじゃない?」

 いじわるな雪がわたしをからかうように質問をなげかける。

 そうね、楽しみなことはいっぱいあるわ。その中でもとびきり素敵なことがこれからやってくるの。

 一年間ずっと待ってた。わたしが冬を好きな理由。それがもうすぐやってくる。

 それはもちろんクリスマス。わたしたち子供は誰だってクリスマスが大好きよ。

 だけどね、わたしにとっては特別なの。

 ツリーよりも、ケーキよりも、プレゼントよりも――もちろん、全部大好きだけど――、もっともっと素敵で待ち遠しい、そんな「おたのしみ」がクリスマスに待っているのよ。

 そう、思い出すだけで笑顔になってしまうようなことがね。

「それは何?」

「教えて」

「何だろう?」

「知りたいなぁ」

 雪たちがいっせいにわたしに問いかける。みんなそろってわたしの耳に「教えて」の大合唱。

 そんなに知りたい?

 だけど、教えてあげない。

 だって、あなたたちは知ってるはずだもの。わたしが冬になると何を待っているのか。どうして毎日が幸せそうなのか。だから、いじわるしないでいてほしいの。これはわたしとあなたたちの秘密。

 ママにもお友達にも先生にも絶対教えたりしない、ナイショの事なんだから。

 でもね、あなたたちが知らない事だってあるのよ。

「うそ!?」

「なになになに?」

「教えてよ」

「僕たちにナイショなんてヒドイ!」

 そうね、わたしもいじわるね。だから、聞いてくれる? 誰かに言わないとそわそわしすぎて疲れてしまうもの。このまま放っておいたら胸の奥がバラバラになりそう。

 わたしは胸の奥の心のパズルがバラバラになってしまわないように、慎重に息を吸い込んだ。こうするとなんだか落ち着いてくるわ。クリスマスのことを考えると落ち着いていられないのは四年前からずっとよ。それも毎年ソワソワする気持ちは大きくなっていくんだもの。

 そんなわたしの気持ちをからかうように、雪たちは口々に鈴の音のまねを始めた。この鈴の音はクリスマスの音ね。わたしたちが眠りながら待つサンタさんの合図。

 お友達みんなはこの音を聞くときっと白いひげに赤い服のおじいさんを思い出すでしょうね。やさしげな微笑みのファーザー・クリスマス。小さなころから絵本の中で会うことができたわ。

 だけどね、わたしが待っているのはそんなサンタさんじゃないの。雪たちはきっと知ってるわよね。

 雪の妖精たちはサンタクロースのお隣さんだもの。

「やっぱりそうだ」

「あの子だね」

「そうだあの子だ」

「だと思ったぁ」

「ふむふむ、そうなのかぁ」

「へぇ、あの子なんだぁ」

「知ってたさ!」

 そうよ。子供のサンタさん。今日はクリスマスの準備をしながらずっと思い出してたわ。泣き虫のおチビちゃんだったわたしを突然、笑顔で尋ねてきた男の子。わたしにとってのサンタさんはあの子の事。

 わたしは耳の邪魔をしないように閉じていた目をそっと開くと、腰掛けていたベッドから立ち上がって窓の外に見える小高い丘の上を眺めた。わたしの背丈くらいの小さな若い木たちで覆われたあの丘には一本だけ、大きくて力強い「道しるべの木」が立っているの。

 あの木を見ると思い出すわ。ねぇ、みんなは聞いてくれるかな?

 ママの帰りを待ちながら思い出していた話はまだ途中。だから、最後まで思い出してしまいたい。そうしたら、あなたたちの知らないわたしの話もしてあげられる。今すぐ話してあげたいけれど、胸の奥に並べたパズルのピースが崩れてしまいそうだから準備をしておきたいの。

 コンペイトウのような夜の街明かりはとってもきれいで、目に心の天秤が傾いてしまうのね。足音はかすかに聞こえるけれど、雪たちの声は聞こえない。だけど、外で踊るように降る雪たちを見ているとなんてわたしに語りかけているかはすぐにわかる。

 誰かに話すのは初めてで少し戸惑っているけど、聞いてくれるのはとってもうれしい。思い出すのがさっきよりも楽しみになってきたわ。

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 わたしは男の子の手を引いて夢中で走っていた。

 こんなに走るのは初めてかもしれない。いつもなら息切れして立ち止まっているはずなのに、今日はなんともない。私たちが上っている丘の坂道は少しだけ急だって言うのにわたしの走る速さは全然変わらないの。

「見せたいものってこの丘の上のこと?」

 わたしは息を弾ませながら男の子に尋ねた。

「そうだよ! ここにくる途中に見つけたんだ」

「一体、何なの?」

「ナイショ。頂上までのお楽しみ!」

 そう言われるとなんだかワクワクしてきた。この丘の上に何が待っているのか、あれこれ頭を働かせてみるけど何なのかはさっぱり分からない。だけど、考えれば考えるほど、素敵なことが待ってることだけは何となくわかった。これはさっき男の子と会ったばかりの時に感じた「素敵のもと」ときっと同じ。わたしの胸の奥で「素敵のもと」が朝起きて目を開けた時のようにはっきりとしていく気がした。

「さぁ、あと少しだよ!」

 男の子はわたしの手を離して少しだけ速く走って、10歩くらいかな、わたしの前を走り始めた。

 わたしは息をまるで音楽のように弾ませながら男の子に追いつこうと力いっぱいスピードをあげた。でも、男の子ってすごいのね。全然追いつけない。慣れない雪の上だからっていうのももちろんだけど、男の子の足はわたしよちもずっと速くてどんどん差が開いていく。

 それまで包まれていることをずっと意識していた冷たくて澄んだ冬の空気も、ギシギシへんてこな音を立てる雪の道のことも、全部忘れるくらいわたしは走ることに夢中になっていた。男の子に追いつきたい、ただそれだけを考えて。

 男の子は「ここがゴールだよ」って言うように両手を広げてわたしを待ってくれている。あと少し。本当にあと少し。

 あと30歩くらい? 近づいた! あと20歩……。10歩。もうすぐそこ!

 走ることに夢中になりすぎたわたしは勢いあまって、両手を広げた男の子の胸に思いっきり飛び込んだ。男の子は止まると思っていたみたい。飛び込む瞬間に少しだけ見えた男の子の顔は、さっきわたしが転ばせた時とは比べ物にならないくらいびっくりしてた。

 わたしもびっくりしたからまるで世界が止まったみたいに、そして、ミルクに入れたココアの粉のように心が止まった世界に溶けたように思えた。

 少しだけなのか、それとも長い時間が過ぎたのかはよくわからない。だけど、いまさらやってきた息切れと、息切れと一緒にやってきた胸のドキドキのおかげで溶けてしまったわたしの心は少しずつ固まってきたみたい。

「あわてんぼうだね」

 耳に届いた声にわたしはそっと目を開けて、声の方を見上げた。少しぼやけているけど男の子の笑顔が見えた。

 まだ少し心は溶けたまま。男の子の言ってる意味がすぐに分からなかったから。

 だけど、ぼやけている目が急ぐようにはっきりしてくると、わたしの心も十分固まったみたい。今から本当に少しだけ前。忘れるにはずいぶんと短すぎる間に起こったことを思い出した。

 わたしは走るのに夢中で止まりきれなくて、ゴールの合図に両手を広げた男の子に飛び込んだんだ。

 転んでないということは男の子はあんなに思いっきり飛び込んだわたしを支えてくれてたんだ。

 でも、少し傾いてる。バランスを崩してまた転んでしまいそう……。

 それに、あんなに勢いよくぶつかったら痛かったかも……。

「あっ!」

 謝ろうとしてわたしは男の子からあわてて離れた。

「ごめっ――」

「――おめでとう!」

 わたしが「ごめんなさい」って言おうとしたら、男の子はわたしの手をつかんでそう言った。

「えっ? あの……」

「おめでとう。ここがゴールだよ。息切れしてるね。疲れたでしょ?」

「あ、うん。なん…だか…」

 言葉がとぎれとぎれ。なんだか体中から力が抜けるような気がした。男の子の言うとおり、わたしの体は疲れてるみたい。きっと、心が元気すぎて体が付いて来られなかったのね。

「そっかぁ。じゃあ、深呼吸しよう!」

 そう言うと、男の子はすぐ目の前のわたしまで吸い込んでしまうくらい大きく口を開けて空気を吸い込んだ。わたしも少し遅れて男の子のまねをしてみる。

 冷たい空気を思いっきり吸い込もうとすると、ときどきむせてしまいそうになるのね。わたしが咳き込むと男の子は「ゆっくりでいいよ」と言って笑ってた。男の子の言うように今度はゆっくり深呼吸をしてみる。今度は大丈夫。冷たい空気がわたしの体の奥で染み込んでいくみたい。とっても気持ちいい。

「これでもう大丈夫だね。さ、行こう」

 男の子はそう言って丘の頂上の方を向いた。今、気がついたけれど、ここは頂上からほんの少しだけ下の部分なのね。頂上のすぐ下のところはそこだけ坂が急になっていて、頂上からすぐ近くなのに、丘の下からも見える背の高い木の頭以外よく見えない。

 わたしと男の子は今度はとってもゆっくり歩いた。まるで靴と雪のパーカッションの奏でる音に耳を澄ませるみたいに。

 なんだろう? すごくドキドキしてる。何が待ってるんだろう?

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 少しずつ頂上の景色が見えてきた。白い何かがケーキのクリームに乗ってる銀色のアラザンをトッピングしたようにきらきらしてる。

 坂が少しずつわたしの目から消えていって、交代にその白い何かがやってくる。息が止まりそうなくらいワクワクしながらわたしは一歩一歩、前へ進んで頂上へとたどり着いた。

「わぁ!」

 わたしはびっくりして静かな夜を壊してしまうくらいに大きな声を出した。

 そこにあったのは雪で出来た人形たちのパーティだった。たしか、背の低い木たちが大きな木を囲むように生い茂っていたはず。だけど、それも全部、久しぶりにやってきた大雪で真っ白になっている。低い木たちの何倍もの高さに積もった雪は人のかたちをした彫刻になっていて、お茶会や立食パーティを楽しんでるみたいに見えた。

「すごいっ! これ、あなたが作ったの?」

「まさか! 僕は今日初めてここに来たんだ。君をここに連れてくる少し前にね」

「じゃあ、誰がこれを作ったの?」

「雪たち自身と風の仕業さ」

「雪たちと……風?」

「そう。今年、この街は何年かに一度の大雪がやってきたんだよね? この街の空の主は北風の妖精だよね? 彼女は大雪が大好きなんだって。だから、大雪でうれしくなって雪たちに彫刻になってパーティをしようって誘ったんだそうだよ」

「それはあなたの考えたお話?」

 わたしは男の子の言ってる言葉があんまり変てこだったから、作り話なんだって思った。だけど、男の子は目をぱっちりと開いてわたしを見て首をかしげている。そうしたいのはわたしの方……。

「変なこと言うね。お話じゃないよ。今日ここに来る途中で北風の妖精から聞いたんだ。この街に住んでるのに彼女のことを知らないの?」

「知らない……。んと……」

 わたしは男の子の言ってることがよく分からなくなって困った顔をした。そんなわたしを見て男の子はちょっとだけ何かを考えているような仕草をする。何かを思いついたのか、ちょっとだけいたずらっぽく笑いながらあたりを見回した。

「そうだよね。おじいさんが言ってた。よその人たちは妖精の声に鈍感なんだって」

「よそ?」

「うん。僕から見た『よそ』ね。つまり、サンタの村の外のこと」

「サンタの村?」

「言わなかったけ? 僕はサンタクロースの孫だって」

 言ってた。だけど、わたしは正直言うとあんまり信じていないのよ。不思議な子だけど、信じようにもどうやって信じればいいんだろ? 外国の子だから少しは信じやすいけど、この街にだって外国からやってきた人はいっぱいいるし、それにサンタクロースには誰も会うことが出来ない、手紙でしかお話できないってママが言ってたのよ。

 確かに、サンタさんだったら妖精とお話できるって本で読んだことがあるわ。でも……。

「よぉし! 君にも妖精の歌を聞かせてあげよう! 今はそよ風が吹いてるから妖精も気分がいいはずだからね」

 男の子は腰のベルトに付けたハンドベルを手に取って、「チリリリリリン」って元気よく鳴らした。

「こんばんは! 友達を連れてきたんだ! 出ておいでよ!」

 ハンドベルの音が止むと、男の子は空に向かって大きな声で誰かに声をかけた。きっと、さっき言ってた妖精になんだと思う。わたしは何だか不安になって周りをキョロキョロと見回した。そんなわたしを見て男の子はそっと耳うちをした。

「来たみたい。もうすぐ歌い始めるよ。耳を澄ませてごらん。今、君の耳に魔法をかけたからきっと聞こえるはず……」

 男の子は顔をわたしの耳から離すと、ちょっとだけ笑った。

「……僕が魔法に失敗していなきゃの話だけどね」

 信じるのは大変な話だけど、男の子が嘘をついてるようには見えないからとりあえず信じてみることにしてみた。だけど、本当かしら?

 ……あ、本当だ。

 わたしは耳にふわふわとしたカンジがやってくるのをみて、思わずブルブルと震えた。そのふわふわしたカンジが何なのかすぐに分かった。

 きれいなハミング。前にママに連れて行ってもらったガラス細工のお店で見たガラスの白鳥のように透き通る声。目には見えないけれどすぐそこにいるってなんとなく分かる優しい気配。なんだか嬉しそうね。男の子のお話のとおりだわ。あなたは雪が大好きだから、今年の大雪が嬉しいのね。

「きれいな歌声ね。どうしてだろう、聞いていると幸せな気分……」

「妖精は君のことが気に入ったみたいだよ」

「本当かな?」

「うん。こんなにいい子は久しぶりだって。この丘にはたくさん人がやってくるけど、みんながいい人ってわけじゃないからね。君がいい子でよかった」

 わたしの目を見てそう言うと、男の子は声のするほうを見て妖精のハミングを輪唱で返し始めた。男の子の歌声もとってもきれい。そういえば、声変わり前の男の子の声はとっても綺麗でたくさんの音楽家たちが彼らの為の歌を作ったって先生が音楽の授業で言ってたっけ。

 なんだか妖精と男の子の輪唱を聞いてると幸せな気分になってくる。これが夢ならずっとさめないでいてほしいな。目が覚めたら幸せなんか忘れちゃう。いつも泣いてばかりなんだもの。そんな事を考えると一粒二粒だけだけど、涙が出てきた。

「どうしたの?」

 男の子は輪唱で夢中なはずなのに、わたしの涙に気がついて駆け寄ってきてくれた。わたしの目には心配そうな顔でこっちを見てる男の子の顔が映ってる。男の子はやさしげな表情でわたしを見ている。そんな男の子を見ていると一粒二粒のしずくだけで終わるはずだった涙がどんどん出てきた。嬉しいのと悲しいのが交じり合った複雑な気分……。

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 目には見えないし、肌で感じることもできないけれど、歌うのをやめた妖精がわたしの頭をなでてくれているのが気配で分かった。わたしはダメな子ね。今日はじめて会ったばかりの二人に心配かけてるなんて。

「どうしたら笑顔になってもらえるかな? 僕は君が笑ってる顔が見たくて会いに来たのに。なんか悪いことしちゃったみたい。 ゴメンね……」

「ううん。そうじゃないの。なんだか嬉しくて。でも、ここにいる時間が夢なら、朝になったらまた悲しい時間にもどっちゃう。だから……」

「夢?」

「うん。あなたが来て、ここに出かけて、不思議なことがいっぱいあったんだもん。これは夢だって気がするの」

 わたしが泣いたときに息が止まるのを抑えながらしゃべると、男の子はじっと大きな木の方を見た。

「だったら……」

 男の子は小さな声でつぶやくと急にわたしの手を取って木のすぐ近くまで引き寄せた。

「夢じゃないよ! 僕が教えてあげる!」

 そう言うと男の子は力いっぱい大きな木を揺らし始めた。子供の力じゃ大変なのに、何度も何度も木を揺らす。何をしようとしてるんだろう?

 しばらく男の子を見てると、答えが空から降ってきた。

「ひゃあ! 冷たい!」

 枝に積もった雪がわたしと男の子めがけて降ってきたの。わたしはビックリして飛び上がりそうになった。わたしはあわてて服についた雪をはらう。頭の上にもたくさん乗ってる。まるで帽子みたい。下を見ると雪はわたしのふくらはぎの半分くらいのところまで積もってる。こんなに落ちてきたのね。

「あー!」

 外に出るときにあわててお部屋に架かっていたコートを着たんだけど、そのコートのフードの中にも雪がたくさん。服の中にも入っていてすごく冷たい。

 どうしてこんなことするんだろう? わたしは少しだけ怒った顔で男の子のことを見た。

「びっくりした?」

 わたしが怒ってることに気がついてないのか、男の子はすごくニコニコしてる。気がついてないというより、わたしをビックリさせて楽しかったみたい。

「すごく冷たい! どうしてこんなことするの?」

「夢じゃないって教えてあげたくて」

「え?」

「夢の中なら冷たいとか痛いとかって感じないでしょ? だから、雪をかぶって冷たかったら本当の事だってわかるかなって思って。びっくりしたでしょ?」

 わたしは少し戸惑いながら小さくうなずいた。男の子はわたしがうなずくのを確認すると「あーあ、まっしろ」って言って自分の服についた雪をはらう。

 雪を落としたのは自分なのになんだか不満そうなカンジ。そんな男の子の様子を見るとなんだかおかしくて、気がついたらわたしはおなかを抱えて笑ってた。

 男の子は頭の上に「?」マークをぽかんと浮かべてるみたいに、首をかしげていた。

「え、なに? 僕がなんかした?」

「だってぇ。自分で雪落としたのに、不機嫌そうなんだもん。すっごく、ヘンテコ」

「そう?」

「うん」

「言われてみればそうかもね!」

 男の子はなんだか納得したみたいに満足げな顔で、嬉しそうに笑った。その満足げな様子がおかしくてわたしはさっきよりも大きく笑う。ふたりで笑い合ってると、風の妖精がつられたのかわたしたちの周りをくるくる回りながら踊ってる気配がした。

「でもよかった。僕はそうやって笑ってほしかったんだ」

 男の子はしばらく妖精のダンスの気配を目で追いかけた後、やさしい笑顔でわたしを見て言った。

「実はね、今日おじいさんとクリスマスの下見にこの街に来たとき、泣いてる君の事が気になって仕方なかったんだ」

「下見?」

「そう。僕たちサンタクロースはクリスマスが近づくとひとりひとりの子供たちの夢にお邪魔して、プレゼントを決める準備をするんだ。今日はこの街での仕事だったんだけど、君の夢の中は涙の海になっていてその中に浮かんでる君はとっても悲しそうだった」

 わたしの夢? ……そういえば、男の子のノックで目が覚める前、サクラを涙でびしょぬれにするほど泣きながら眠っていた気がする。でもそれは今日だけじゃない。いつもわたしは泣きながら眠っている。眠りながらひとりぼっちを忘れたくても夢の中まで悲しい波は追いかけてくるから。

「なんだかそれが気になったんだ。おじいさんは僕にクリスマスは子供たちみんなにとって幸せで特別な日だって言ってたのに、君の夢はそう見えなかったから」

 そうよ。わたしはクリスマスもひとりぼっち。だから、「幸せで特別な日」なんて知らない。

「だから、君の笑ってる顔を見てみたかったんだ。それに、くまのサクラにも頼まれたからね」

「サクラのことを知ってるの?」

「うん。だってサクラを君にあげたのは僕のおじいさんだから」

 忘れてた。サクラは去年のクリスマスにサンタさんにもらったんだ。そんなことも忘れてたのね。でも、サクラのことは大好きだけどクリスマスはやっぱり嫌い。サクラがやって来て嬉しかったけど、寂しくて悲しいのは何も変わらなかったから。

「サクラは君はとってもいい子だって言ってた。僕も夢にお邪魔したときに思ったんだ。涙で海ができてても潮風は優しいって。そんな夢を見る子が笑ってる顔を見てみたいって。だから、いても立ってもいられなくてここに来たんだ」

 わたしは男の子の言葉に正直、すごく困ってしまった。嫌なことを言われたわけじゃない。だけど、こんな風に誰かに言ってもらったのは初めてだったから。

「君は妖精の言葉、わかる?」

 妖精の言葉? きれいなハミングならさっきから聞こえてくるけど、言葉はわからなないかも。

 わたしは首を二、三回横に振った。

「それじゃあ、通訳してあげないとね。風の妖精は君みたいな優しい子が来るのを待ってたんだって。昔から彼女はいろんな人にハミングを聴かせて幸せの方に導いていたんだ。その人がたとり着くべき幸せがあって、きちんとそこに行けるようにその人だけのハミングで。それは優しい人にしか聞こえないハミングなんだ。そして、君の耳に聞こえるハミングはとびきりハミングなんだって。君はこの街で一番優しい子だから、少しずつだけど幸せにたどり着いて行けるって彼女は言ってる」

「でも、わたしはいつも泣いてばかりいるのよ? 幸せなんて……」

「たどり着けない? そんなことないと思うな。君には妖精のハミングが聞こえるだろ? 特別優しい人じゃないと聞こえないはずだよ?」

「魔法をかけたからでしょ?」

「確かに魔法をかけたね。でも、僕は魔法をかけるのがへたくそなんだ。もうとっくに魔法が消えてハミングなんて聞こえなくなってるはずだよ。どうだい? 聞こえなくなった?」

 そんなことない。しっかりと妖精のハミングが聞こえる。それにすぐそばでわたしを見ててくれる気配も感じる。

「気配も感じるだろ? それは僕の魔法じゃムリなんだ。僕に出来るのはほんの少しの間。そうだなぁ、二、三分くらい。そのくらいの間だけ妖精の歌を聞かせてあげるくらい。でも、君はずっと妖精のハミングを聞いているし、見えないけれど気配はわかる。それは君がそよ風のように優しい子だって証拠だよ。そして、そんな優しい子は妖精たちが気づかない間に少しずつ幸せに導いてくれる」

 わたしはなんだか、どうしていいのか分からなくなった。わたしにはお友達がいない。ママもいつもお仕事。サクラはぬいぐるみだ
からお話できない。今は男の子と一緒だけど、おうちに帰ればまたひとりぼっちにもどっちゃう。男の子の言葉を信じたいけどたぶんムリ。

「わからないの。そんなこと言われたって、ひとりぼっちだし。どんなに寂しくたって、誰にも話せないもの。だから、だから……」

 やっぱり涙が止まらない。いつもこうね。ひとりぼっちが辛くてしょうがないけど、どうしようもないから泣いてるだけ。今日こうして楽しいのも今だけだもん。男の子が優しく言ってくれればくれるほど、明日も明後日も続く寂しい時間が怖くなる。

「ひとりぼっちが怖い?」

「当たり前でしょ……。あなたや妖精がどんなに言ってもわたしはお部屋の中で泣いてるだけ。怖くないわけないわ。あなただって帰らなきゃいけないでしょ? そしたらまた寂しくて泣いてなきゃいけなくなるもの」

「そっかぁ。それなら僕がいるよ」

「でも……」

「僕はしばらくこの街でお仕事なんだ。だから、毎晩会いに来れる。それじゃだめかな? それなら、昼間、どんなに寂しくたって夜の間だけは楽しくいられるだろ?」

「いいの……?」

「もちろん!」

 わたしは胸の奥からやってくる暖かい大きな波でなんだか心がやわらかくなっていく気がした。誰かにこのカンジを説明するのに「うれしい」って言葉じゃ多分足りないよね? 自分でも涙が止まって口元が少し緩んでいくのがわかった。

「やっぱり笑ってる顔のほうがいいね。『サンタクロースの仕事は子供たちを笑顔にすること』っておじいさんはいつも言ってるからね。僕も君が笑っててくれたほうが嬉しい」

 わたしのすぐ隣で、うなずくような気配がした。男の子の言葉に「うん」って言ったのね。そして、妖精が耳元で囁くようにハミングをする。そのハミングはなんだか心の奥にくすぐったくて、気がつくとわたしは小さく「くすくす」笑ってた。

「妖精も君がここに来てくれたら嬉しいって。だから、毎日君の窓をノックするね。きちんと起きてよ? そうしないと今度は僕がひとりぼっちになっちゃう」

 男の子は笑いながら言う。

「うん。寝ないで待ってる。ノックの音も聞き逃さないように耳を澄ませてる」

「それなら安心だ」

 妖精がくすくす笑うようなカンジがした。なんだか喜んでくれている。わたしにお友達ができたんだ。これからはひとりじゃないのね? とっても嬉しい。明日からは泣かずに過ごせるといいな。

「さぁて。ねぇ、あっち見てよ」

 男の子は見晴らしのいいこの丘から見える街の向こうを向いた。さっきまで黒と暗い青で塗りつぶされていた空に少しだけ白が混ざり始めている。初めて見るけど、これは朝が始まる合図みたい。

 暗い空に混ざる白はずっと見てると気持ちが吸い込まれそうでソワソワするくらいキレイ。

「もうすぐ朝になっちゃう。そろそろ帰ろうか」

「え?」

「君のお母さんも起きちゃうから、見つかったら怒られちゃうかもよ?」

 わたしは男の子の言葉に少しだけ不安になった。本当に明日も来てくれるのかな?

「大丈夫だよ。そんな不安な顔しなくたって僕はきちんと来るからさ」

「ホント?」

「うん。だから、大丈夫!」

 男の子はわたしを安心させてくれるように、私の両手を握って言った。その男の子の様子はとてもウソを言うようには見えない。だから、不安に思うよりも明日を楽しみに思うほうがいいみたい。

「だから、行こう!」

 男の子は握っていた両手のうちの左手だけ離した。わたしの右手を握って男の子は少しだけ早く走り出した。

「急がないと朝になっちゃうよ!」

 わたしは男の子に手を引かれながら、遠くの空を見た。さっきよりも白が広がってる。白かったところも水色や黄色、橙色が混ざり始めてる。

「キレイ…」

「朝が来るのを見るのは初めて?」

「うん。なんだかずっと見ていたくなる。こんなにキレイなものがあるなんて知らなかった」

「すぐに見慣れた朝になっちゃうけどね。それじゃあ、明日からは僕がきれいなものをたくさん見せてあげる。昼や朝に見れないようなステキなものをね」

 楽しみ。男の子に手を引かれて、雪で覆われた丘を下りながらわたしは明日からステキな日が待ってる予感でワクワクしてた。こんなに嬉しいのは初めてだから、帰ったらサクラにも教えてあげよう。サクラも喜んでくれるよね。だけど、ママには内緒ね。だから、おうちではわたしとサクラだけの秘密。

 早く明日の夜が来ないかな。

​​

​​

 なんだか思い出すとあったかくなるわ。

 次の日もそのまた次の日も、男の子は窓をノックして私のところに来てくれた。ママに気づかれないようにいるのは本当に大変だったけど、こっそりと男の子を待つのはすごく楽しかった。

 男の子はいつもサンタクロースのお仕事のことを教えてくれて、わたしの知らない世界のことを知ることができた。それに木に登ったり、雪だるまを作ったり、あまりお家から出なかったわたしに冬の遊びも教えてくれた。夜になれば男の子が来てくれる、その事がわたしを幸せな気持ちにしてくれたの。

 男の子がこの街にいたのはクリスマス前のほんの何週間かだけ。あの頃から今までの4年間のなかでは本当に短い時間だったけれど、そんなに短い時間だとは思えないくらいわたしの心の中にしっかりと根を張っている。

 男の子の思い出でわたしが一番好きなのは男の子とおじいさんがクリスマスの日に届けてくれたプレゼント。あの日、プレゼントの包みを開けると赤いかわいらしいマフラーが入っていて嬉しかったわ。毎日そのマフラーをして、ママが心配するのもお構いなしに外に遊びに行ったっけ。

 その頃からかなぁ、わたしはが少しずつ学校やご近所の子たちと仲良くなることができたのは。少しずつお友達が増えていって、わたしの世界は買ってきたばかりのカンバスに絵筆を走らせるようにいろいろな事が増えていったの。

 みんな大好きだし、素敵なお友達。でもね、今もわたしにとって一番のお友達はあの男の子なの。

 あの年のクリスマス・イヴの前の日以来、会ってないんだけどね。けれど、わたしは知ってるの。あの子は一年ごとにどんどん素敵なサンタクロースに成長していってるって。

 どうしてかわかる?

 わたしは色々なことを思い出したせいで胸の奥がくすぐったいのを抑えながら、窓の外でゆっくりと空から降りる雪たちに尋ねた。みんなはきっと気がついてると思うけど。

「もちろんわかるよ」

「そうだね、君だからだ」

「そうそう、特別な子だから」

「こんな子他にはいない」

 雪たちは、ざわざわと口々に納得したような口ぶりで、でも、もったい付けながら理由の事を言おうとしている。今年の雪はきれいだけど、ちょっぴりいじわるなのね。

 でも、その中の一粒が小さなひそひそ話の中、大きな声でわたしの質問の答えを言った。

「サンタクロースの時間を起きていられるからだよね。君はサンタの使う『眠りの魔法』にかからないんだ」

 そのとおり。わたしは子供なら眠ってしまうはずの真夜中をこっそり起きて、サンタさんが来るのを待っているの。

 世界中にサンタさんに会おうとして起きている子供はたくさんいるけど、彼等が眠ってしまうのはサンタさんが『眠りの魔法』をかけて、夢の中に連れて行ってしまうから。だけど、わたしにその魔法はかからない。どうしてかはわからないけれど、多分、あの時に魔法なしに妖精の声を聞けることと同じなんだと思う。

 だから、わたしは寝たふりをしながら男の子がプレゼントを届けてくれるのを見ているの。今年も眠らずに起きているつもりよ。

 だけどね、今年はそれだけじゃないの。

「それだけじゃない?」

 うん。今年は寝たふりをやめてきちんと起きて待っていようと思うの。

 わたしの心の中の声が届くと、雪たちはいっせいに大騒ぎを始めた。

 わたしが言った事はサンタの世界を知る雪たちにとってとっても大変な事だってことはわかってる。でもね、今年は特別な年にしたいから。だから、大変な事だけど起きて男の子に会いたいの。

「それはどうして?」

 大騒ぎの中、一粒だけ冷静にわたしを見ている雪がぽつりとつぶやくように尋ねた。

 それを誰かに言うには勇気がいるわ。だから、その準備をしたくて思い出をあなたたちに話していたんだから。それに、これを話したらみんなビックリして溶けてしまわないか心配になるもの。

「それは大丈夫。僕らは『起きてること』にビックリしたんじゃないよ」

 じゃあ、何にビックリしたの?

「君はいつかサンタに会うってわかっていたもの。でも、それが『今年』だとは思わなかったんだ」

 なるほどね。それはわたしの気持ちをあなたたちが知ってるってことね?

「もちろんだよ。僕らは自分の降る街のことを何だって知ってるんだ」

 そうよね。雪は毎年、この街に降るんだもんね。それもこの広い街の中を覆いつくすくらいに。

 わたしが今年、サンタさん――というよりも、男の子――に会う事にしたのは、わたしの胸の奥にある小さな「芽」に気がついてしまったから。

 あれから毎年、クリスマスの日にわたしと男の子はお互いに手紙を書いていたの。わたしは毎年、その手紙が楽しみだったけど、だんだんそれだけじゃ足りなくなってしまっていたのよ。

 机の引き出しに男の子の手紙がしまってあるけど、その手紙を見るたびに冬が待ち遠しくてたまらなかった。

 だけど、いつからかな? 手紙を見るたびに息がダムの水のようにせき止められるような気持ちになる事に気がついたの。

 わたしの家からは「みちしるべの木」が見えるからなおさら。あの木はサンタクロースが道に迷わないように案内してくれている特別な木だって知ってるから。

 そうやって、たった何週間かの間の思い出をこの街のいろんなものから引き出してはそわそわしたり、苦しくなったりを繰り返しているの。

 きっと、一番のお友達――っていうよりも特別なお友達だから。

 だからもう一度、きちんと会ってお話したい。そうすれば、少しずつ何か気がついているけど、まだ霧の日の広場のようによく見えないこの気持ちが何かわかると思うの。

「僕たちはそれな何か知ってるなぁ」

「だよね、だよね」

「君の胸の奥にはっきりと見えるなぁ」

「君もホントは気づいてるでしょ?」

 そうね。本当の事を言うとそうかもしれない。だけど、言葉にするのは確かめてからにしたいの。そうじゃないと、本当にパズルのピースがバラバラになってしまう。そうならないように、クリスマスの日に足りないピースをさがしたいから。

 雪たちは息を潜めてわたしの胸の奥の音を聞く準備をし始めた。雪たちの作り出した静かな時間がわたしの胸にすうっと染み込むカンジがする。

 やさしい雪たちね。今のわたしなら、これ以上みんなに背中を押されたら本当にパズルを崩してしまうもの。

 クリスマスまであと少し。

 男の子に会うのなら、この部屋でお茶会を開こう。4年前に見た北風の妖精が作った雪の人形たちのように。

 毎年、枕元においているクッキーも今年は自分で作ろう。今日は、頼みそびれちゃったから、明日こそはママに「クッキーの作り方を教えて」ってお願いしないと。次のお休みが、ママにクッキーを習う最後のチャンスだから。

 早く来ないかな。これから毎日、カレンダーとにらめっこは確実ね。

 お願い、雪たち。この待ちきれなくて破裂してしまいそうな気持ちを落ち着かせたいの。あなたたちの足音とわたしがこれから焼く、今はまだ幻の中のクッキーでリズムを刻みましょう。

 少しずつ、少しずつ。胸の奥と空の中のパーカッションでクリスマスまでを数えましょう。

 怖いけれど、きっと素敵なサプライズが待っていてくれるはずだから。

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