ショートショート
真夜中のワンピースとあくびを待つ時間
2010年06月30日 21:57
今日、買ってきたばかりのキャンドルに火を灯してみた。
テーブルの前にしゃがみこんで、その日をなんとなく見つめている。
眠れない夜にゆらゆらと気まぐれに、そして控えめに照らす暖かい色の光。
僕はあくびがやってくるのを待っていた。
けれど、こういう夜は決まっていつまでたってもやってこない。
ベッドから立ち上がったときにはなんとなく気がついてはいたけれど、僕には諦めをつける決心がなかったんだ。
「しょうがないな…」
一言つぶやくと、立ち上がって部屋の照明をつけた。
煌々と照らすのなら気分にはそぐわない。だから、今日は調光機付の照明を選んだ過去の自分に感謝しつつゆっくりとそっと部屋の明かりをともしていく。
気をつけることはかすかなキャンドルの自己主張をなかったことにするような強さにしないこと。
暗がりと呼ぶにちょうどいいくらいの明るさにしたら僕はふと浮かんだ気まぐれに身を任せてクローゼットの扉を開けた。
そこにかかっているのはお気に入りのワンピースたち。
カットソーもブラウスもあるけど、今日の気分はワンピースたち。
すかさずいくつかを手にとってベッドや床にちりばめてみた。まるで、この部屋の中でガレージセールをするみたいに。
色とりどり、季節も色々。たくさん並べられたワンピースたちがさっきまで真っ暗だった寂しい部屋にいろどりを添えている。鮮やかに姿を変えた部屋の真ん中、ベッドにそっと腰掛けて僕はくすくすと笑ってみせる。
これは照れ笑い。調光機とワンピースその間の関係は思い出すのに照れてしまう、過去の僕の数々だから。
照れ笑いをするのも少し疲れるから。だから、次にバスルームへ。
お湯を沸かして十分待って先ほど火をともしたキャンドルとティーセットを運んでおく。パジャマにしてるニットのワンピースを脱ぎ捨てたならホップのラベンダーのバスソルトを入れてバスタブへ。
本当はあのまま眺めていたかったんだけど、さすがに照れくさかったんだ。ワンピースたちに一気に囲まれることなんて初めてのことだったから。僕にとってのワンピースの意味は本当に顔を赤くするようなことばかりだからね。だから、こうしてお湯の暖かさで顔の赤さを誤魔化すわけ。木は森に…それはちょっと違うか。
ワンピース、イコール、デート。中学で習った言葉で呼ぶならそいつは方程式っていうやつ。僕だけに成り立つ方程式。
スカートを履くのは履きたい気持ちだから。だけど、ワンピースはその中では特別で好きな子と一緒にいるとき専用だって決めている。
それとここに運んできたカップの中身はチャイ。これも過去のデートにちなんだもの。
夜の静けさに独りぼっちになったから、なんだか過去の恋を思い出したくなったんだ。恋には色んな初めてがあってそれを未来から俯瞰で見ると、独特の心地よさみたいなものがあるからね。
体を少しずつ包んでいくハーブの香りの中でカップに浮かぶシナモンの香りを注意深く探したりしながら、ワンピースの柄をひとつひとつ思い出していく。
今着るには子供っぽい、襟元のギザギザの刺繍が特徴的なピンクのチェックの子ははじめてのボーイフレンド。手をつなぐだけ、ハグもキスもなし。でも、くすくす笑う息のくすぐったさは知っている。ホントのホントに子供の恋。そんな時代を一緒にすごした子だったよ。
無意識に目を細めていると、ふと浴槽の端っこに置かれた猫のオブジェと目が合った。どこを見ているかよく分からない猫なんだけど、そんな表情がなんだか色々な事を言われているような気がしてそれが複雑な気持ちになる。
そっとティーカップを手に持って何かを持っているような猫の手に乾杯の合図をする。 そして、お風呂の暖かさでふやけた両手でカップを持ちながら、そっとそっとチャイを口元へ運んでいく。猫に「君みたいに猫舌なんだ」とか言いながら恐る恐る、ついでにしっかり味わうように。
入れすぎた砂糖の味がなんだか心地いい。心が疲れているときに甘いものはそういうもの。今日の僕が疲れてるのかって? うん、多分。こうして眠れないんだからそうに決まってるんだよ。
少しずつ飲みながら時間をつぶすつもりだったけれど、無意識に甘さをほしがる僕は一度飲むと止まらない。だから、一気に飲み干してしまってお湯の中でぷかぷかと手持ち無沙汰な気持ちに揺れていた。
なんとなく、腕を天に向かって伸ばしてみる。このバスルームから空は見えないけれど浴槽の縁に置かれたキャンドルの明かりがこの何もすることのない退屈さのように揺れている。そう、まるで今の気持ち僕みたいに。
暗さが作る影のコントラストはやせっぽちな僕の腕をさらにやせっぽちに見せる。
今でも時々、ラフな恰好なら男の子に見られる僕。このやせっぽちな体を最初に見せたのは誰だったろう?
人の肌はこのお湯よりも温い。だけど、お湯とは違ってなんだか暖かいという言葉をもっと低い温度で表現できる。そもそも、お風呂みたいな温度だったら大変なことだからね。
だけど、ふと思い出してみて僕は自分の顔がお風呂なんかよりもずっと熱くなるような錯覚を感じてしまった。
このやせっぽちな僕を抱きしめるあの子。
照れくさくて顔を半分お湯に沈めながら僕は蟹みたいにぶくぶく泡を立てる。
触れられる心地はやっぱり何もないときに思い出すと恥ずかしいものだね。
あの頃着ていたキャミワンピを着るたびになんだかむず痒い気分になるのはそのせいだ。「初めて」っていうのが加えられるから余計に。今からそれほど時間は経っていないけど、何も知らなかった頃のことだったから。
ああ、そうだ。君と一緒にいた頃は僕の髪は長かったね。
僕の人生で今のところ唯一セミロングくらいまで伸ばしてたころ。あの子と会ったばかりの時は猫をかぶってまるで別人みたいにしてた。
というのも新しい環境で、違う場所での新しい生活に自分を変えたかったから。話し方もしぐさも。ちょうどこの部屋に住み始めた頃だったよ。
すぐにボロが出てやめてしまったけれど、あの子はそんな僕を笑いながら受け入れてくれた。「面白いやつ」だって。
やりすぎなくらい「女の子に」してて出会った君は僕をまるで同性の友達のように扱っていた。でも、この部屋で色んなものを見せるときは接し方こそ変わらないけど、目に見えない曖昧な部分ではきちんと女の子扱いしてくれた。
僕もなんだかそれに安心できて。怖いことなんて全然ない日々を過ごせてたんだ。
なんとなく切るに切れずに猫かぶりの発端だった長い髪はしばらくそのまま。あの子と別れてなんとなく切ったときは美容室で「昔のドラマのヒロインみたい」って失恋とショートヘアに戻ることが同時だったことに苦笑いしてたっけ。
顔半分まで沈めていたところから上半身を起こすと僕は深く息を吐いた。
なんだか少しふらふらする。のぼせてしまったみたいだ。
今日は音楽を持ってこなかったからどれくらいの時間、こうしてお風呂に浸かっていたのかよく分からない。だけど、詳細に色んな事を思い出していたからそれなりの時間はたっていたはず。
水滴がたくさんついてまるで汗をびっしょりかいたみたいな猫のオブジェとまた目が合う。この子はバスルームに置かれたり部屋に置かれたりキッチンに置かれたり、部屋のあちこちを知っていて僕とも長い付き合いになるから色んな事を見ている。これまで思い出したよりも沢山のはじめたちを。
それを考えると猫と目が合うというのもなんだか恥ずかしい感じがする。
そして、なんだかいてもたってもいられない気分になったから立ち上がってお風呂からあがることにする。
ちょっと息が苦しいし、くらくらする感じ。やっぱりのぼせてしまったみたいだ。
めまいにも似た感覚で僕の頭に思い出の断片がまるで現実かのように鮮明によぎった。こんな風に覚束なく立ち上がったときに後ろから抱きしめられたときだ。
僕はなんとなくふてくされた感じでその子の顔を見ようと後ろを見て、そしてほっぺたにキスされた。そこで僕とその子は恋人同士だってようやく自覚できてた。そんな時だった。
……あれ? この思い出は誰だっけ? どのワンピース?
どうしてだろう、そのシーンは鮮明なのに顔が思い出せない。そんなに前じゃないはずなんだけどね。それは分かる。
僕はキスされたその時みたいなふてくされた顔をしてもう一度猫の方を見る。
「君は覚えてたりする?」
猫は答えない。当たり前だ。苦笑いをしてバスタブの栓を抜いてタオルハンガーからバスタオルを取って体を拭くと僕はバスルームを後にした。
お酒に酔ったみたいなのぼせ具合でいつもの生活スペースに戻るといつも買ってる雑誌の最初あたりのページを常に陣取ってる下着とニットのワンピースを身に着けて軽くストレッチを始めた。
お風呂上りにストレッチをするのはいつものことなんだけど、いつも一息つくいてのんびりしてからはじめるのを今はすぐにはじめることにした。
部屋のあちらこちらに置かれたワンピースに囲まれている事が照れくさかったんだ。
腕を横に伸ばしながら周りを見まわして僕はさっき頭をよぎったシーンの男の子が誰だったのかを探す。
でもやっぱり思い出せない。それなら何かヒントはないかな?
僕はストレッチでゆっくりと吐く息と一緒に一つ一つ思い出していく。
床の上、ベッドの上に散らばっているワンピースをひとつひとつ見ながらどれを着てあの男の子と会ったのかを探る。そしてどんなデートをしていたのかも。
そもそもどんな子だったけ?
すごくマイペースな子だった気がするよ。色んな事に夢中になったりしながら時々僕をほったらかしたりね。
だから、君じゃなくていつも僕がエスコートしてたんだよね?
そうそう、初めて手をつないだのも僕のほうから。そっと僕が君の手をつかむと君は僕の顔を見て照れくさそうに笑ってた。マイペースで僕のこと見てくれてなさそうで、でもしっかりと僕のことを考えてくれてる、そんなやさしい人なんだよね。
そうそう、変に大人になろうとしたり女の子らしくなろうとしたりしないで僕の方もすごくマイペースでいられる、そんなデートをしていた気がする。
だから、君と会ってるときの僕はすごく子供っぽくて、お風呂で思い出したキャミワンピを着てた時の子と一緒だったときの僕とは僕自身もまるで別の人みたいだったんだ。猫をかぶってた頃も、その後もどちらと比べてもね。
手をつないだ。後ろから不意に抱きしめられた。そして、不意にほっぺにキスされた。
なんだか古本屋で買った昔の少女漫画みたいだね。
それ以上はどうだった?
ほっぺじゃなくて見詰め合ってマウス・トゥ・マウスでキスはした? それに肌は重ねたのかな?
よく思い出せないや。でも、どれも自然と出来た様な気がするんだ。
どれもその後に目を合わせてなんだかおかしくなって笑うような感じ。そして、猫のカップルが昼寝を始める前みたいに寄り添ってお互いに甘えてみたり。
お互いに気持ちを伝え合う方法は必ずしもそうじゃないけど、小さな子供同士みたいなカップルだよね。何よりも一緒の時間のすべてがくすぐったい気持ちなんだ。
ストレッチを終えてベッドに腰掛けて改めてワンピースを眺めてみる。
子供っぽい僕が着ていたワンピース。どれだろう?
ボーイフレンドたちとのデートにつながるワンピースたちはデートのためだったり、たまたまその前に買ったお気に入りだったりまちまち。
あの子とのはどうだっただろう?
そう言えば、あの子とは関係なくなんとなく買ったんだった。お店で見つけて。
ああ、そうだ。これだよね。
猫とラッパを吹く女の子の影絵がプリントされて襟元やすそにピンクのギザギザの刺繍が入ったシャツワンピだったね。そう、これ。
僕は立ち上がってワンピースを手に取った。
このワンピを背がそれほど高くないやせっぽちな僕が着ると本当に子供みたいなんだよね。
シューズはいつもスニーカーでレギンスを履いて。そんな姿で鏡を見るとまるで初めてデートに出かける中学生みたいなお子様っぷり。
なんだかあの子とのデートにぴったりすぎてなんだかおかしい。買ったときには会った事すらなかったのに、まるで買ったときにあの子と出会って好きになる事を分かってたみたいな。
すごい幸せな気持ちだよ。そう、まるであの子とは失恋なんかなかったみたいに。
過去のボーイフレンドたちとの思い出というのは楽しかったり幸せだったりするのは確かなんだけど、今その子と恋人じゃない僕がいるというのはそこに「別れ」があったから。
そう、切なかったり悲しかったり辛かったり。そんな気持ちも一緒にあるんだよ。
けれど、まるでそんなことがなかったみたいにあの子とは楽しい気持ちだけなんだ。
今その子と付き合っていて幸せな日々を紡いでいってる最中みたいにね。
現在進行形で僕はその子のガールフレンドで今日は会えずに「今頃どうしてるのかな?」なんて考えてたり。明日はデートだから間違いなく影絵のワンピースを着て行かないと、とかそんな事を考えるようなそんな感じ。
ただそれにしてもはなんだか違和感を覚える。
だって、寝ぼけて半分夢の中にいて現実の事を忘れてしまっているにしても、こうして思い出しているなら実感みたいのはあるはずなんだ。だけどそれがない。
僕は一生懸命、彼の事を思い出していく。
眠気が日々の記憶を隠しているのなら、慎重に手繰り寄せていければいくらでも思い出すことが出来るはずだからね。
手をつなぐと寄り添うように体を近づける僕の目ををうれしそうに見て照れている君。待ち合わせでは不意打ちを狙ってそっと後ろから近づいて抱きしめてくれる君。そして……。
そして?
そういう出来事は思い出せるけど、顔とか向こうがどんな服を着ていたのかとかは思い出せない。
他の子は色んな事をはっきりと思い出せるんだよなぁ。
あれ、でも?
考え事をしながらワンピースを見ているとふとある事を思い出した。
このワンピースって買ったのが最近だった気がする。雑誌で見かけて、住宅街にある小さなセレクトショップまで買いに行って……。
そこで思い出した。
ボーイフレンドが思い出せないのは眠気のせいなんかじゃない。眠くなるのを待ってこうして色々してるのにちょっぴりむなしいけれど、思い出して頭がすっきりした気がした。
思い出だと思ってるから間違っちゃったんだ。
君は過去のボーイフレンドでも現在のボーイフレンドでもない。
ワンピースを見つけたとき、試着しながら想像した風景だったんだ。
つまり、あのマイペースな子はこれから出会う誰かなんだね。
それが分かるとなんだかおかしくなって僕はくすくすと笑い始めた。
ばさっと座っていたベッドに倒れこんで天井を見る。調光機で弱めた控えめなランプの光とろうそくのゆらゆらゆれる光がそれぞれ天井をオレンジ色に照らしている。雪の結晶の形のモービルがゆっくりとくるくる回っている。
頭がすっきりしたばかりだけれど、ちょっとずつ眠気がやってきた。少し安心した。
僕はさっきまでまだ出会っていない誰かを想っていたんだね。単なる空想なんて言えばそれまでだけど、なんとなくこれからあの子にどこかでそう遠くない未来に出会える気がするんだ。
わずかな想像の中の思い出とどれだけ一緒かは分からないけれど、それでもどこかでお互いに出会えるタイミングを待ってるんじゃないかって気がするんだ。
眠気が夜の帳のようにゆっくりとやってくる。ブランケットの上に少しずつ沈んでいくような錯覚を感じる。
その心地よさを感じながら僕は出会えることがどんどん楽しみに感じている。
ねぇ。君は今どこにいるの? どこかで僕のように眠れない夜をすごしてるの? それともぐっすり眠ってるのかな?
まだ、どこの誰かは分からないけど、僕はすごく君に会える日を待ち遠しく感じているんだ。
だから。君は僕の事をがんばって探し出してね。僕も君の事を探すから。そして、子供っぽいけどのんびりして心地よいデートをしようね。それがすごく楽しみなんだ。
眠りの中に少しずつ沈んでいくのを感じながら僕はそんなメッセージをどこかの誰かさんにつぶやいてみた。
出会える日。それが目が覚めて明日のことならすごくうれしい。