ショートショート
気がつくと知らない時間
2008年07月08日 0:07
目が覚めるとお家の中には誰もいなかった。
一週間の中にぽかんと開いたお休みの日。ぼくは何も考えずに大きな画集を抱きながらお昼寝してた。
体を起こして大きな声でママを呼ぶけどお家の中でこだまするだけ。
ひとりぼっちになったみたい。ママがいなくなったみたい。
あたりを恐る恐る見てみると、なんだかやけに静か。車の音も小鳥の声も、公園からの大騒ぎもおとうふ屋さんのラッパの音も、何にも聞こえない。
もしかして世界からみんながいなくなったのかな?
街の中から人が消えて、その外がなんだか無くなってて、ぼく以外はこの世から全部なくなっちゃったのかもしれない。
そうしたら、宿題をしなくてよくなるのかな?
それは嬉しいけど、これからずっとひとりでどうやって過ごせばいいんだろう?
居間の真ん中に座ってるがなんだか落ち着かなくなってきて、ぼくはとりあえず立ち上がってみた。
ぼく以外のいなくなった世界の静かさに耳がなれてなくて、耳の奥でごぐごぐって低い音が鳴ってたりする。その低い流れるみたいな音になんだか不安になってくると、今度は思いついたでたらめな歌を歌ってみる。
今、ぼくのいる世界の中でたった一つだけの音。ぼくが歌うのをやめたら世界から音が消えてしまう。
のどが渇いて歌うのをやめるとやっぱりまたごぐごぐ耳の奥がなり始める。
それしか聞こえなくてなんだか落ち着かないけど、不思議と動く気が起きなくなってきた。どうしていいのか分からないからぼくは右手を前に、左手を横にしたすごく中途半端な姿勢で居間の真ん中に立っている。
どうしよう。何をしてればいいんだろう?
まずは水を飲んでこよう。水道は出るのかな?
その時だった。
急に居間から二階に伸びる階段からどてんどてんって音が聞こえてきた。
ぼくしか世界にいないのに、どうして音がするんだろう?
ぼくは慌てて振り返る。
そこには古い人形が座っていた。
その人形をぼくは見た事ない。ママとパパがこの家にいた頃にも、人形なんてうちに無かったはず。
人形はエメラルドグリーンの透き通る目でぼくをじっと見ている。体を少し倒し気味なのに顔だけは上を向いた、苦しそうな姿勢でじっとぼくを見上げている。
この人形、ぼくに何か言おうとしてる。
どうしよう、凄く怖い。ぼくは人形の目をずっと見たまま、動けなくなった。
動けば人形に何かされてしまいそうな、そんな気がしてたまらなかったんだ。
日が傾き始めて結構、時間が経った。
太陽が沈む寸前なのに、空にはまだ明るさを残してる。少しだけまだ顔を出してる太陽から窓に差し込む光が人形の目に反射して猫の目みたいに光ってる。
それを見てるとソワソワしてきた。見たくないのに目を離せない、もっと見たいのに怖くて目を離したい、そんなアベコベな気持ちがぼくのまわりを行ったり来たり。
もう怖いよ。足がだんだんすくんできたけど、どこかに逃げてしまいたい。
だけど、誰もいなくなった世界だから電気もつかないから暗くなってもこの人形とにらめっこうをしてなきゃいけないんだ。
もうやだ。ママとパパと学校の友達と先生と近所のおばさんとバス停をいつも掃除してるおじいさんとぼくにだけ吠える犬と、みんなのいた頃に戻りたい!
ぼくが我慢できずに泣き出すと、急に玄関のほうからドアの開く音がした。
「ただいま。ごめんね、今日停電だって言ってなかったよね。電気つかなくてびっくりしたでしょ?」
ママの声だった。すっかり暗くなったから影しか見えないけど、ママの姿を見ると凄く懐かしくなった。
停電……。だからこんなに静かだったんだ。
よかった。ぼくしかいなくなったんじゃなかったんだ。
ぼくは安心するとその場にへたって座り込んだ。力が体からなくなったみたい。
「あら?」
ママはぼくが何時間も怖くて動けなくてにらめっこをしてた人形を抱き上げる。
「朝、物置を掃除してたら出てきたの。ママが小さい頃に一緒に遊んだ人形よ。ん、どうしたの? どうして泣き出したの?」
ママが帰ってきて一旦止まった涙が、急にぼろぼろ出てきた。
「どうしたのよ? 怖かったの?」
ママが人形を片手にかがんでぼくのほっぺを撫でる。
「……のどがわいたの」
涙に邪魔されてうまくしゃべれない中、ようやくぼくの口から出てきたのはその一言だった。