ショートショート

慣れない歩幅

2008年07月15日 0:18

 チャイムが鳴ると、それに合わせるみたいにわたしの胸もドキドキしはじめた。

 今日は授業が少しも手につかなかった。土曜日から今日が待ち遠しくてたまらなかった。寝不足だし、ご飯ものどを通らない。だけど、わたしの気持ちはとっても満ち足りてる。

 ホームルームの先生の連絡だって耳に入ってこない。頭の中には一秒でも早く教室を出て玄関へ行く事。

 今日、掃除当番がないのは本当にラッキー。帰りの挨拶をしてホームルームが終わったら、わたしはバッグを手に取って急ぎ足で教室を飛び出した。

 遅れて行くつもりだけど、トイレに寄って鏡で確認したい。リボンはずれてないかとか、髪は整ってるかとか。

 今なら掃除当番もやってきてないから静かに気持ちを落ち着けられる。トイレにつくと鏡に映る自分を見て深呼吸をした。

 よし。リボンもカーディガンもスカートも髪型も大丈夫。さぁ、笑顔を練習しないとね。どんな顔で行こう? 笑顔は必須だけど、思いっきりの笑顔とか照れた笑顔とか、笑顔と言ってもいろいろある。

 今日が最初だから、照れてはにかんだ笑顔がいいかな。緊張しちゃいそうでうまく笑える自身もないし。

 隣のクラスの掃除当番が来る前にわたしはトイレを出て玄関へ向かった。玄関はホームルームを終えた生徒が何人か靴を履き替えたり立ち話をしている。

 地味すぎて格好悪い上履きのスニーカーから、キャラメル色で中はピンクのストライプの入ったお気に入りのスニーカーに履き替える。いつも帰りに靴を履き替える時、通学時の靴が自由っていううちの学校の校則には感謝しちゃう。

 履き替えて上履きを靴箱に閉まって体制を立て直すと玄関を出る。

 いた。

 少し無骨に切った短めの髪と、他のクラスメイトよりやんちゃそうな子供っぽさを顔に残しながら広めの肩幅や力強そうな手で大人に向かっている事が分かるそんな男の子。

 わたしの彼氏だ。

 そう、「彼氏」なんだよね。それも、一昨日から。

 告白はわたしから。ずっと一緒に遊んでたけど、二人きりで会ったのはあの時が初めてで、正直ダメだと思った。でも、こうやって今は待ち合わせして二人きりでこれまでとは違う形で会う時が来たんだ。

「あっ……」

 わたしは出来るだけかわいく笑顔で声をかけようとしたけど、彼の顔を見た瞬間に頭の中が突然の停電のみたいに動きを止めたせい
で、何を言おうか忘れたし、笑顔だってすごい中途半端な気がした。

「早かったね。掃除当番は?」

「あ、うん……」

 わたしは照れくさいのか緊張してるのか分からないけど、頭の中がゴチャゴチャしてきたのを整理して変な返事を返す。

 何やってるよ……。

「今日は無かったの」

「そうなんだ。さ、行こっか」

 そう行って彼は歩き出す。わたしは別に何があるわけじゃないのにぽかんとその様子を見てるけど、すぐに我に返って後に続く。

 ため息をつきたい。あまりに情けなくて悲しくなる。告白して気が抜けちゃったのかな。本当にわたしはバカなんだから……。

「日曜日、何してたの?」

 彼はこっちを見て混乱してめちゃくちゃなわたしと対照的にいつもどおりに笑顔で言う。

「あー。昨日は妹と買い物に行ってたの。服とか……」

 わたしは言葉は中途半端だけど、ちょっと落ち着いたのか彼のほうを見て告白前の「友達のひとり」どうしだった頃に少し近い感じで笑顔を見せる。

 これでいいのかな。なんか、緊張してたのが水につかった紙みたいいふやけてきたみたい。

 わたしと彼はそれからたわいもない話をした。わたしは昨日の妹との買い物、彼はお父さんと行ったっていう釣り。そんな、付き合う前でもするような話。

 なんか、今日の放課後に凄く構えてたのに実際会えば、今までと一緒。そんなもんなのかな。

 でも、たった一つ、これまでと違う事が欲しいかな。ちょっとした事だけど、ちょっと先に進んで見たいかも。

 歩いて、足を進めてきて同じ学校の人たちが周りにたくさんいたのにいつの間にかわたしたちだけになってた。両端に元気な葉桜が茂る坂道を下っているところ。

 わたしは学校を出てから続けてるたわいもない話をしながら彼の手をチラッと見る。

 なんて言おう? いつ言い出そう?

 この長い坂道を下って、公園を抜けて大通りに出たらわたしたちの帰り道は違うんだ。 どうしよう……。

 わたしは戸惑いながら彼の手から顔に視線を移す。すると、彼は目の合ったわたしにやわらかい感じで笑ってた。

「手、つなごうよ」

 彼はなんでもない、まるで隣の席の人から消しゴムでも借りるみたいにわたしが言い出そうと迷ってた言葉を言う。

 やだ。目が泳いでる。答えなんて決まってるのに。

「う、うん……」

 わたしは目を合わせてるのが何だか大変に思えてうつむきながら返事する。

 彼の左手はそっと、本当にさりげなくわたしの右手を握った。わたしは歩き方を忘れたみたいに足を止める。

 動揺してる。それも泣き出したいくらい。だって、夢がかなったんだもん。わたしの胸の奥で「君とずっと手をつなぎたかった」って言葉があふれてくる。

 わたしは動揺を彼に気づかれないようにほんの短い時間の沈黙をやめてまた歩き出した。

 手をつないではじめて気がついた。君とわたしの歩幅ってこんなに違うんだね。お互いに無理に合わせようとするからちょっと大変かも。

 でも、なんだかわたしの右手が暖かいから大変なのも嫌じゃないよ。

 なんか、手をつなぐと急に「これでいいのかな?」って疑問もなんかどうでもよくなってきちゃった。とりあえず、一歩進めたけど、別にゆっくりでもいいんだよね。

 なんか分かっちゃった。付き合う前に一番憧れたのはキスなんだけど、またわたしには早い気がするな。

 今はこうやって手をつないでるだけで満足なんだもん。

 気がつくと坂道も公園も過ぎて大通りだ。そっか、今日はもうこれでふたりきりの時間はおしまい。あとはまた明日。

「また明日」

 彼は相変わらず、さりげなくいつもどおりに言う。

「うん、また明日ね」

 わたしはさっきと対して変わらないぎこちない笑顔で返す。まぁ、これで今のところはいいよね。

 でも、ちょっと思った。今日は手をつないでてもちょっとわたしたちの間は空いていたから、明日はもう少し近くで歩いていたい
な。

 わたしと反対方向に向かう彼の後姿を見送って、わたしはこっそり明日のイメージトレーニングをしていた。

Recent Stories