ショートショート
一歩目の快速列車で
2009年04月01日 0:03
何年ぶりの遠出だろう? しかも、他の県に行くなんて生まれて初めてのことだ。
短い旅のつもりだからキャリーケースは買わずに近所のお店で見つけて一目惚れしたファスナーのところだけのピーチピンクがかわいいブラウンのバッグにありったけの荷物を詰め込んで、小物なんかは同じ色の星の模様がちりばめられた小さなショルダーバッグに入れて、隣町へのショッピングの延長線みたいな気分で出かける事にした。
そそっかしいわたしだけど、今日は忘れ物をしてないと祈ろう。
各駅停車の電車にしか乗れない最寄り駅を出て隣の駅へ。快速に乗り込んでのろまだけど安上がりな道のりのお供に文庫本を幾つか。マンガも一冊だけあるけど、わたしの街から十分離れたら気分に浸るために読むつもり。
イヤホンから控えめな音でお気に入りのおもちゃ箱みたいなジャズを聴いて窓から遠ざかる街並みを見ている。これから会いに行く人はきっと一年前の今日、こんな景色を見ていたに違いない。
そして、遠ざかるわたしはそれを見る事が出来なかった。目から溢れる洪水がわたしの視界をこれでもか、これでもかって言うほど邪魔していたから。きっとあの人はそんなわたしを心配そうに苦笑いして見ていたに違いない。
一年前かぁ。そう、一年も経ってしまったんだ。
去年の今日からしばらくの間、時間が経つのはどれだけ遅いんだろうって常に進まない時計の針に苛立ちを覚えながら過ごしてた気がする。
自分で言うのもなんだけど、わたしは何気ないことからちょっとした発見をするのがすごく上手だ。だから、単調な日々ってまわりの人に言われるような時間もそんな風に感じた事はあまりない。
だけど、さすがに去年は本当に退屈でこの街はなんてのろまに時を刻むのかと絶望的な気分すら味わった。もう信じられないくらい。
そんな時間を過ごしたって、慣れるのは自分が思うよりもはるかに早いもので、気が付いたら時間は元通りになっている。
でも、ふと冷静になってみると思うのはあの人がいかに自分の毎日を出会う前のものから大きく変えてしまっていたかということ。
それは、そんな風に考えるのは当たり前の事なのかもしれない。遅すぎる初恋の時間だから。ずっと、景色はその大小を問わずに変化を見つけれるのに、人の変化にはひどいほど疎いわたしが誰かの振舞う事全てに気が気じゃないなんて結構な一大事だったに違いない。
そして、そんなわたしを理解して受け入れて、一番だと言ってくれた人――そんな、存在になってくれたあの人の存在が小さいはずなんてない。
だけど、そんな時間がほんの一時だったなんて、どうしてすぐに気が付かなかったんだろう? 大学生だった彼が卒業を迎えれば、街を出て行ってしまうなんてあたりまえのことなのに。しかも、この街が故郷というわけではない。つまり、彼が学生でなくなればこの街は過去の一節でしかなくなるなんて、考えなくても分かる事なのに。
わたしたちは未だ恋人どうしだけど、そこにあるのは蜘蛛の糸にぶら下がるような言葉しか通らない心細いやりとりだけだ。言葉は強い。だけど、それ以上を知っていたら欲は、寂しさは、どちらも容赦なく多くを必要としてしまう。
そこにはこうして必要を得られない辛さに心地のよい想いは壊されてしまって、思い出したくないほど風化したいつかの事になってしまうようなそんな不安も内包されている。
今日は勇気を出せてよかったと思う。今日はあの人に会うための旅。すごく遠くに思えたけれど、思ったよりも安くて短い旅。乗り換え案内でずいぶん拍子抜けしてしまった。
でも、拍子抜けの部分は安心も感じた。今のわたしにとって会いに行く事はそれほど大変じゃないっていう事が分かったから。この旅は荷物が少なくして長いものにしないつもりなのもそのせい。また来れるから、いつでも来れるからってきちんと自分でわかる為。
それを決めて会えば、また会いたくなってこうして旅をするようになるだろうから。
窓にもたれて遠ざかる景色を眺めてみる。もうすでに知らない景色だ。街を見れば知らない店、知らない道、聞いた事もない企業の看板。時折覗くのは木や原っぱに時々の家や倉庫。よく見えるのは電線。新鮮というよりも不安。目が覚めたら自分の家じゃなかったりするような、起きてるのに夢を見てるようなそんな、胸の奥にたまる何かをどんどん掬われていくような感覚。
心地のよい不安は好きだ。そして、この感覚の先には安心が待っている事がなんとなく分かるから余計に首まで浸る事ができる。
知らないだらけの時間の中で会うことが出来るのは大好きな人。
せっかく持ってきた文庫も出番はないのかもしれない。羽でなでるようなシンバルの音で十分。タルトの生地に潜んだ甘さに似た歌声だけあればいい。気まぐれで視聴もせずに買った音楽と初めてで溢れたそして、細かくは覚えないであろう景色、それだけでこれからやって来る時間への準備は足りている。
そして、こころの端っこで考える事は一つ。この窓を隔てて流れる景色がなじむ時、この旅がわたしの一年の習慣になる少し先の未来が確かなものになって欲しいという事。
今、通り過ぎた駅の名前は路線図で見覚えがある。この旅は「行こう」と思う前のイメージが間違っていたって事がはっきり分かる。それ程、長くもない時間しか経っていない気がするけれどあとほんの数駅であの人の街に着く。
さぁ、そろそろ時間。どんな顔でどんな声で、手紙や電話で送れないわたしを見せようかを考える頃だ。