ショートショート

まだまだだけど少しだけ

2009年05月02日 1:23

 今日はなんだか早く目が覚めた。

 だんだん目が覚めていくってよりも、それよりもパッてパチって、そう、一瞬で目が覚める感じ。

 いつも目が覚めたときに何をしてるかってのがいまいち分からない。ベッドに腰掛けてひざを肘についた頬杖で特に意味もなく天井を眺めたりして。

 なんだろうな。何かしなきゃいけない気がするのにそれが見つからない。

 すごく変な感じ。いつも布団から出るのに躊躇しちゃうわたしだけど、今日はすぐに目が覚めて、本当なら今頃、いろんな事をしてるはずなのに。

 だけど、やけにすっきりした頭で何にもしないで黙ってる。考え事だってしちゃいない。

 布団で夢の続きをむりやり引き伸ばしたり、それで寝ぼけてるはずなのに鼻歌歌いながらキッチンに行ったり、そんないつもやってる事がなんだか出来ないのがなんだか変だ。

 そう、わたし、すごく変なんだ。辛いでも、悲しいでも、苦しいでもない、なんか変。

 だって、朝、目が覚めて一番先に考える事は今は考えちゃいけない事なんだ。だって、何を考えたって「もしも」にしかならない。

 考えたい。できる事ならまだ布団に包まって、「今日は、あれして、これして…」なんて考えたりして、そして、枕もとのてんとうむしのぬいぐるみを見立ててハグしてみたりして。

 すごく会いたい。近くに住んでるのに、会っちゃいけない。会ってももう、「わたしたち」じゃないんだ。

 なんだか頬杖に疲れてコトンって倒れてみる。

 こんなにわたしの住んでる世界は静かなんだね。朝早いからじゃない。気がつかなかった静けさに気がついてしまったんだ。

 馬鹿だね。わたし、すごく馬鹿なんだ。肌がね、すごくはっきり覚えてるの。抱きしめられたらどんなだったか。ここでくっついて一緒に眠った夜とか、わたしが先に目が覚めて、彼が目を覚ましたところを狙ってキスしてみたり、十時のお茶を飲み終わって脱力してるところに不意打ちでキスのお返しをくらったりした、そんな何気なかったはずの時間がすごくわたしの体からしみ出てくるの。

 泣きたいよ。わんわん声あげて、それこそ隣の人が聞こえて気になるくらいに泣いて泣いて、もう、それから疲れてしばらく動けなくなるくらいに。

 でも、涙が出ないんだ。なんだか泣けないの。わたしの中が空になって泣く機械も涙の原料も何にもなくなってしまったみたいに。

 今までなら呆れた顔で彼が泣いてるわたしに「いいこいいこ」って頭をなでてくれたんだ。それもないんだよね。

 誰かが尋ねてこないかな? 友達の顔を見たら泣ける気がするの。それで、他の友達もやってきて「しょうがないな」って言いながらお茶会をここで開いてくれて、わたしは泣きながらスコーンをほおばるんだ。

 …でも、今、友達はみんなどこかに出かけてる。休みだもんね。旅行やショッピングがしたいだろうから邪魔なんかしちゃいけないよ。わたしだってショッピングをしてるはずだったんだから。

 そして、なんだか気がついた。

 わたし、お腹がすいてる。そうか、こんな時でもお腹がすくものなんだよね。「食事も喉を通らない」なんて大嘘もいいところだよ。

 わたしはベッドから起き上がると去年買ったケープを羽織った。暖かくなったとは言っても、結構、朝が早いから寒いんだよね。

 パジャマにケープ、それと買い物に使ってるかご。これはそういえばフリーマーケットでボヘミアンな格好をした背の低い女の子から買ったんだ。

 あの子、女のわたしから見てもドキってしてしまうほどかわいくて、ちょっとうらやましくなったな。ああいう子を見ると自分の背の高さがちょっと嫌になるかも。

 それでも男の子よりは小さいけれど。そう、彼よりも。

 …ああ、これは余計だ。

 考えれば辛くなる。辛いのに泣けないなんて余計に痛い。考えちゃダメ。すくなくても今のところは。そうだ、考えちゃダメなんだ。

 スリッパと迷ったけど、朝露が結構多いからスニーカーにしてよかったよ。

 朝もやはさすがにないけど、湿っている澄んだ冷たい空気は結構気持ちがいい。思いっきり吸い込むと喉の奥を通って、胸の中をそっと冷やしてくれるような気持ちになる。

 内側からわたしが朝の中に混ざって行くような気持ち。

 わたしの住む小さな古いアパートの裏にある原っぱには野イチゴがなっている。大家のおばあちゃんとわたしと二階のお姉さんとの間の秘密。別に特別隠してるわけじゃないんだけど、なんとなく誰にも教えないでこっそりと食べる事でドキドキする緊張感を味わったりしてるんだ。

 なんか、あの野イチゴの味なら、品切れ中みたいに空っぽなわたしの心に詰め込めるんじゃないかって気がしてる。何の確証もないけど、ただ何となくそんな気がするから。

 野イチゴの味を思い出してるとじわりじわりとよだれが出てきた。お腹もすいてるからね。

 原っぱに着くと野イチゴの茂ってるあたりをあちらこちらと見回してみる。朝露がキラキラしてきれい。ちょうど、朝に日が差し込む場所に生えてるんだよね。

 かごを肩にかけたまま、わたしは茂みの前にしゃがみこんで慎重に十分大きくなった野イチゴを摘みはじめる。つぶしてしまわないようにそっとそっとかごの中に入れていく。 なんてことない単純作業。たぶん、ロボットには難しいのかもしれないけど、それでも機械的な動き。でも、なんだか心地いい。何かを考えるのは今はちょっと上手く出来ないだろうから、こうして慣れた感覚に任せて黙々と何かをしてるのはいいことなのかもしれない。

 ただなんとなくするイチゴ摘み。そして、ちょっとだけ魔が差してひとつだけつまみ食い。

 酸っぱい。分かってはいたし、覚悟はしてたけど、この酸っぱさはびっくりする。

 そう、「別れよう」って言われた時に似てる。手を止めてみると、この酸っぱさみたいにすぐに過ぎ去るものならいいのにっていう無茶な考えをしてしまう。

 やっぱりこのなんとも言い表せないからっぽな感じとはしばらく付き合わなきゃダメみたいね。

 手を止めたまま、朝露のついた野イチゴの葉を眺めてみてる。

​​

 チチチ… チチチ… チチチ…

​​

 ふとわたしの耳に高くて短い、聞きなれているはずなのに初めての様に感じる呼び声が聞こえた。

 左上。どんぐりの気に付けられた巣箱からだ。

 手のひらに乗るくらいの鳥たちがわたしの方を見て何度も「チチチ…」って鳴いてる。

 わたしはなんとなくその子たちに微笑み返す。彼女たちもこんな気持ちになる事があるんだろうか。わたしをすごく優しい目で見ている。あれは何かを知ってる目だ。

 わたしはかわるがわる鳴き声で何かを告げる鳥たちに口元をすぼめて似た音が出ないか試してみた。小さな音だけど、彼女たちはきっと聞いてくれるはずだ。

 動作は少しキスにいていて少し痛くなるけど、それでも今の何かが足りない感じを鳥たちに訴えたくてしょうがない。

 しばらくわたしと鳥たちは、きちんとキャッチボールになってるとは思えないけど、「なんとなくこんな感じ」の繰り返しで会話みたいなやり取りを続けていた。

 できる事ならうちに招待したい。この野イチゴで何かを作ってごちそうしてあげて、それでいろんな事を話したい。きっと彼女たちはわたしの知らない事をいっぱい知ってる。遠い街の出来事を教えてもらって、かわりにすてきなブランチを振舞って。そうすれば、すごく楽しい時間が過ごせると思うんだ。

 きっと、その後にはからっぽな感じも泣きたくなるような痛みもなくなってくれていると思う。

 だけど、そんな事、起こりはしない。だから、せめてこの出会いのしるしにちょっとしたプレゼントをしたい。

 わたしは摘んだ野イチゴをそっと巣箱に差し出す。お互いにこれからこの野イチゴを味わって、ちょっとしたひと時を共有できると思うから。

 さぁ、鳥たちは野イチゴを見るなり満足そうに食べ始める。そして、わたしの事なんか忘れてしまったみたいに。

 気に入ってもらえてよかった。さぁ、わたしもそろそろ食べたくてたまらないかも。

 お腹がすいて野イチゴを摘みに来たのにずいぶん時間を使ってしまったみたい。

 鳥たちの邪魔をしないようにそっとわたしは部屋に戻る。

 とりあえずはホットケーキ。ジャムを作りたいけど、そんな事してたらわたしのお腹が悲鳴を上げてしまうから、朝食の分はミキサーで軽くヨーグルトと混ぜて使う事にしようかな。

 生地をまぜてフライパンで焼いて、野イチゴを摘んだ時と同じように考えないで手を動かす時間はやっぱり安心できる。

 少し作りすぎたホットケーキをダンスをしている女の子のシルエットのお皿に重ねるとテーブルまで持っていく。ミントの混ざった紅茶も一緒。忘れちゃいけないのは野イチゴ入りのヨーグルト。

 なんだか満足した気持ち。十分じゃないにしても、動く気すらなかったつい何十分か前のよりはずっといい。

 日差しが強くなってきたみたい。これなら外と部屋を窓で区切るなんてもったいない。 わたしはベランダに出る窓を開けた。さっきまで外にいたのにずいぶんと日の光を眩しく感じる。だけど、暖かい。

 ほんの一瞬だったけど、なんだか体が暖まった気がして少し気分がよくなった。

 そして、ちょっと気がついたことがある。わたしの足元の下、ベランダのコンクリートの地面にシロツメクサが並べてある。

 わたしは置いた覚えはない。というよりも、さっき置いたばかりという感じ。

 不思議がってベランダの手すりに目を向けるとさっきの鳥たちが並んでた。

​​

 チチチ… チチチ… チチチ…

​​

 そうか、さっきの野イチゴのお礼にくれたのね。うれしい。

 わたしはシロツメクサたちをそっと拾い集めるとテーブルの上にたまたま置いてあったコップにさした。

 ホットケーキも焼きすぎたわけだし、これはどうするか決まってるよね。

 鳥たちを朝ごはんに招待しようかな。せっかくお礼を持ってきてくれたんだからね。

 それと、コップじゃ花に悪いから、昼になったら小さな花びんを買いに出かけよう。

 あ、そうか。予定が埋まれば意外と平気なのかもしれない。

 ちょっとだけ、君の事、忘れていられる。こんな時間を重ねていけばいいんだね。

 もう平気! って言えるにはまだかかるだろうけどね。

 さぁ、早くしないとホットケーキが冷めちゃうからね。早めにどうぞ。

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