ショートショート

ふたりじめへのご招待

2009年08月12日 0:15

 退屈な一週間が今年もやってきてしまった。

 わたしが住んでるのは山に近い団地なわけで、わたしが生まれるよりも少し前までは人なんて住んでなかったわけで、静かな山林だったここはずいぶんとにぎやかになったもんだと思う。

 そして、寂しがり屋のわたしにとってはこの一週間はにぎやかなこの団地が信じられないくらいに静まり返る、ある種の先祖がえりの時間だ。

 団地というものは、大抵は他所の土地から移り住んできた人たちが住むところ。一年で二回ほどある節目の行事にはこの団地に住む人たちがいっせいに元住んでいたところに戻っていく。

 わたしには想像も出来ないけど、きっと昔に少しの間だけ戻る事の出来る素敵な時間なんだろう。

 そんな静まりかえった暖地の真ん中の広場でわたしはコンクリートの壁に囲まれて見える真っ青な空を眺めていた。

 お盆も近い日の午後。聞き慣れたおチビちゃんたちの声も聞こえない、この団地中の音をどこかに持って言ってしまったみたいに静まり返っている。

 わたしにとってこの夏の一週間と年の変わる前後の時間はお留守番の時間だ。

 別にわたしだけ――というわけではないんだけど、日本中にあるどこかへ「帰って」いく人たちとは違ってわたしは帰らずにここでおとなしくみんなの帰りを待っている。

 というのも、わたしの両親のふるさとはこの団地のある山がちで海沿いのこの街だから。どっちのおじいちゃん、おばあちゃんも他の親戚の人たちもこの街の他の地区に住んでいる。

 だから、親戚で集まるにもお墓参りするにもバスや電車に乗って「おでかけ」するだけでいい。数十分揺られていれば着くわけだし、そういう用事ないタイミングはこの家にいるだけなのだ。

 こうなると始業式にクラスメイトから聞く里帰りとやらの自慢話はうらやましくてたまらなくなる。「里帰り」なんてものはわたしには無縁のものなわけだから。言ってしまえば毎日が里帰り、「里住み」って言った方がいいかもしれない。

 だから、いつもうらやましさを感じながら、暑さと寂しさと退屈さに耐えた一週間を思い出してなんだか悔しくなってたりもする。

 とはいえ、親戚と同じ街に住む事にメリットもあるわけで、大きくなるにつれそれほどうらやましいという事もなくなった。 クラスを見回せばわたしと同じ境遇の子なんてそれなりにいるわけだし。

 だけど、お父さんの仕事が忙しくなったせいもあって、他の「里住み仲間」の子たちのようにこの所、旅行に連れて行ってもらえない夏休みが続いている。

 正直、このごろ親と一緒に出かけるのが嫌だなって思ったりもしてるんだけど、夏休みの旅行は例外だ。夏休み前の頃には「今年はどうなんだろう?」って考えてしまう。

 それなのに、そういう子たちに対してさえお留守番の境遇になってしまっている事は不満を感じずにはいられない。

 せっかくの夏休みなのに何にもない日曜日が何日も続く心の天気ははゆううつ確率百パーセント。ふてくされた顔がそのままいつもの顔になってしまいそうな気分だ。

 だけど、いつまでもそんな気分で夏を無駄遣いするのは自分でもいい事じゃないってはっきりわかってる。

 だけど、発見があれば、時間の姿は変わっていくもの。

 お留守番仲間を去年見つけたら、意外と楽しいものになるんじゃないかって気がしてくるわけだから。

​​

 お母さんがどこからか買ってきた二色のチェック柄のレジャーシートはふんわりしていて心地よかったせいもあってわたしは夢と現実の間を行ったり来たりしていた。

 いつも子供たちがはしゃぎまわったり、お年寄りがゲートボールやら井戸端会議やらしていて忙しいここも、この短い期間は静かでまるでここが前にテレビで見た海に置き去りにされた街の廃墟のように誰もいなくなってしまったみたいだった。

 だけど、捨てられたわけではなく一時的にいなくなってるだけのここには静かだけどぬくもりが漂ってる。だから、心地よくて眠たくなってしまうんだと思う。

 そんな心地よい眠りには心地よい目覚めが似合うと思う。

 頬を暖かい手が触れた。叩くような動作で柔らかく触れる感じ。「起きなさい」の合図だ。

 わたしは何もなくて自分で目を覚ましたようなそぶりで起き上がり人差し指を立てて「静かに」と言いたい時にするようなしぐさをする。別に黙って欲しいわけじゃない、意味なんてないだけど、眠り姫の目覚めを飾るのにちょうどいい愛らしいポーズとしてとっさに思いついたのがこれだ。

 そのままわたしは手の主に目を向ける。流し目のようで何かをたくらんでるような、向こう側に鏡があるならそう見えるような表情のはずだ。

「おはよう」

「おはよう。昼寝してたの?」

「うん。ほら、これ」

 わたしはそう言ってレジャーシートをぽんぽんと叩いてみせる。

 目の前にいる男の子は一旦、子供っぽく小首をかしげてそっとレジャーシートに触れてみる。

「すごいね。カーペットみたい。いや、シーツ? どっちでもいいや。これなら眠くなるね!」

 そう言って、男の子は飛び込み選手の様にレジャーシートの上にダイブする。

 わたしは呆れた顔でそれを見てる。男の子は仰向けになって満足そうに左右に小さく揺れる。

「昼寝してるのもいいなぁ」

 男の子はそう言って目を閉じる。

「もぉ! それよりも、約束のものは持ってきてくれたの?」

「え、あ、うん。もちろん」

 そう言って、起き上がると男の子はシートを敷いてある芝生の上に置いたバスケットを取り出した。

「どうぞ」

「ありがとう」

 バスケットを受け取るとわたしはウキウキして蓋を開ける。

 そこにあるのはパンの耳のようなものが沢山。

「さすがね。これだけあると嬉しくなっちゃう!」

「よく飽きないね」

「そりゃもちろん」

 男の子は団地の中の商店街に去年できたお菓子屋の店長さんの息子さん。カステラがおいしくて、このあたりに住んでる人はそこのカステラをお茶会やらお土産やらに使ってるんだけど、カステラ以上においしい裏メニューがあってそれがこのバスケットの中身っていうわけ。

 これはカステラの耳。パンの耳みたいに形を整えるのにいらなくなった部分だ。だけど、この部分はカステラで一番おいしい秘密の場所。お菓子屋の息子と友達だからこそ食べられる特権のようなおやつ。甘みがここに集まるから他の部分なんか比べ物にならない。

「それじゃあ、遠慮なく……」

 わたしはバスケットに手を伸ばしてカステラの耳を食べ始める。そんなわたしを男の子は嬉しそうに眺めてる。

 嬉しそうなのはわたしの方のはず。目の前にいる友達が自分のお父さんのファンだって思うと嬉しくもなるだろうけど、それだけじゃなくてその目には裏がありそう。そんな笑顔。

 わたしはそれに気がつきつつも、簡単に嬉しそうな顔を見せるのがシャクに触るのですました顔で食べ始める。

「暑いからのど渇いたよ。一口もらうねー」

 男の子はそう言うとわたしの返事を待たずに勝手に犬を散歩させる女の子の描かれた青いトレッキングボトルを手にとって中に入ってるアイスティを飲みはじめる。しかも、こういう時のおきまりの「一口」とはとてもいえない量。

 飲みすぎだって事はさておいて、少しは遠慮するべき事もあると思う。せめて、「コップがあるかどうか」を聞くとかそういうの。レディのトレッキングボトルに無断――本人にとってはそうではないだろうけど、事実はほとんどそう――で飲むなんて非常識だって言えるのに。

 これがわざとだなんて、そんな事はないよね? こっちが何も知らないと思ったら大間違いなのに。

「それにしても、本当に静かだね。これなら眠たくもなるよ。ちょうど日陰で涼しいのもあるし」

「それ、昨日も言ってなかった?」

「そうだっけ?」

「言ってたよ。明後日も言うつもり?」

「それは……」

 わたしが少し意地悪に言うと、男の子は怯えるようなそぶりを見せてそれからふてくされた。この子は時々何度も同じ事を言うから図星になるかもしれないのは自分でも感づいてるんだろう。

「でもさ……あれっ?」

 何かを言いかけて男の子は急に空を見上げて、それからおでこを手でこすった。

「ああっ! 雨降ってくるよ!」

 そう男の子が言うのと同じタイミングでパラパラと雨が降ってきた。それのタイミングはあまりにも出来すぎていてまるで男の子が雨を降らせたみたいだった。

 わたしはそれを笑おうとしたけど、そんな余裕はどこにもなかった。

 雨足が強くなるのがずいぶんと速い。まるで雨をこの場所の上空に運ぶ水道管があるんなら、それが破裂してしまったみたいだ。

「どうしよう。間に合うかな!?」

「無理だね。でも、いい方法があるよ」

 わたしは慌てて近くの屋根のある場所まで逃げようとしたけど、男の子はそれをわたしの手をつかんで邪魔した。そして、わたしの方を上から押してわたしをその場に座らせる。

 男の子はその後、レジャーシートを手にとってわたしの上でバサッと広げると自分もその下にもぐりこんだ。そうか、これで雨を避けようってことか。

「足は濡れちゃうけど、これで雨が止むまで待ってようよ」

「でも、跳ね返りも強いし、びしょびしょになっちゃうよ」

「大丈夫だよ。こういう雨はすぐに止むんだ。それに不安ならゆっくりになっちゃうけど、このまま……そうだな、あの自転車置き場まで行けばいいよ」

 男の子は安心しきった様子で言う。確かに言った通りに雨がすぐに止むんならへたに一番近いと言っても距離のある自転車置き場に走っていくよりも服がびしょぬれにならなくていいかもしれない。

 レジャーシートはそれほど広くないから、わたしたちはぴったりとくっついて雨宿りをしている。この体勢になってしばらくはお互いにちょうどいい位置を探して体を少し体の位置を変えたり戻したりしてたけど、その試行錯誤の末にこれまで近づいた事のないくらいぴったりとした位置に落ち着いた。

 そして、どういうわけか無言。

 くっついてから、なぜか続けるべき言葉が見つからなくなった。そして、向こうも同じように。

 向こうは分かるとして、どうしてわたしまで黙ってしまっているのか、そこがなんだか納得できない。

 思い当たる可能性はひとつ。向こうの様子のおかしさにこの頃気付いて、それに結論が出てからと言うもの、考えたりした事はなかったと言えば嘘になるけども……。

 同じ理由で黙ってるって言うことなんだろうか? そんな事が頭をよぎると急にわたしは息が苦しくなった。まるで、息を吸ったり吐いたりをどうやってやるのか忘れたみたいに。息が、少し荒くなったかも。

「寒い? 風邪?」

 雨の降る広場の向こうを見ていた男の子がこっちに顔を向けて小声で言った。

「どうして?」

「いや、何か苦しそうだから」

「……姿勢のせいじゃない?」

 わたしは下を向いて言った。様子がおかしいなんて思われたら嫌だ。

 それに下を向く前にあちら側を見たらすごく顔が近かったから。

「そう。ならいいけど」

 男の子がそう尻すぼみ気味の声で言うと、またお互いに黙り込んでしまった。

 腕や肩でくっついてる事以外のやりとりがないまま雨を何もしないでふたりとも遠くを見ている。

 変な沈黙。

 その沈黙のおかげでやっぱり考えずにはいられない。これは認めなきゃいけない?

 向こうの事に気がついたときも困ったけど、こちらも同じって気がついたら余計にどうしていいのか分からないよ。

「あっ……」

 男の子は雨が降ってきた時のようにそう言うと、空を見て、急に立ち上がった。

 レジャーシートはわたしたちから離れてひらひらと後ろ側に落ちる。

 雫が小さくて弱くなった。そして、その数が減っていって、気がついたら落ちてこなくなった。それに加えて空が眩しくなって、この広場のところどころを照らす。

「止んだ?」

「うん。助かった!」

 わたしも立ち上がって、めいいっぱい背伸びをする。

 男の子はレジャーシートの下敷きになってるバスケットを拾い上げた。

「あちゃー!」

「どうしたの? あっ……!」

 バスケットがレジャーシートを取ったときにひっくり返ってしまったみたいでカステラの耳が芝生の上に散らばっていた。

「もったいない……」

 わたしは肩を落とした。

「いいよ。またもらってきてあげるから」

「うん……」

「だから、今日のところは虫と鳥にでもプレゼントってことで」

「そうね……」

 そう言ってわたしたちはお互いに目を見た。

 いつもならここでどちらともなく笑い出すんだけど、今日はそんな気分になれなくて目を反らしたり合わせたりをしばらく繰り返していた。

 また言葉が見つからなくなった。沈黙を始める事になる。

 だけど、なんだかそういう事になっちゃいけないような気がした。だから、他の方法を考えないと……。

「あのさっ!」

 わたしは「沈黙を破る」なんて思わず構えてしまったせいか、必要以上に力を込めた言い方をしてしまっていた。

「うん」

「聞いて欲しいの」

「うん?」

 わたしは呼吸を整えて反らしてしまった目をぴったり合わせて落ち着いた口調を心がけて口を開いた。

「わたしさ、気がついちゃったんだ。君の秘密に」

「何それ!?」

 男の子はすごく慌てた様子でさっきのわたしのいい初めの時みたいに強い声で言った。

 わたしはそんな男の子に対して、自分を指差してファッション誌のデート特集のモデルのアップみたいな表情をしてみせる。

 男の子は目を泳がせながら顔を赤くした。真っ赤とは言わないけど、十分赤い。それに「どうしよう?」って言ってるような顔。

「でも、安心してよ。わたしも同じ秘密持ってるから」

「え?」

 男の子はこんどは声を裏返して聞き返した。わたしはすました態度でそれを無視してレジャーシートをたたむ。

「結構、袖濡れちゃってるね。他は無事だからいいけど……」

 たたみ終わると、手を動かしてる間の男の子に背を向けてた状態から振り返って男の子の方へ歩いていく。

 だけど、その際に立ち止まったりしないで、男の子の片腕でバスケットを抱えていない方の手をつかんでそのまま男の子を引っ張って行った。

 わたしも確実に顔が赤い。それはそうだ。「引っ張ってる」って言うけど、それって「手を繋いでる」とも言うわけだから。

 どこかへそのまま行こうと思ったところだったけど、思いつかないので少し歩いてそのまま立ち止まった。そして、立ち止まった状態の、お互いに進行方向を向いてるっていう中途半端な体制でちょっとだけさっきの沈黙をリプレイしてみる。だけど、それはこれまでより短くてわたしはすぐに振り返った。

「いつでもいいけど、言ってくれるの待ってるからね。でも、わたしからはイヤ」

 わたしはすごく子供っぽくそう言った。まるで、ワガママを言うみたいに。

 男の子はわたしよりもさらに子供っぽくはにかんで小さく頷いた。

 このまま保留なんてしなきゃいいけど。一応、「すぐに言ってね」っていうつもりだったわけだから。

 わたしの答えは分かったようなものなんだから、ここは思い切って欲しいところなんだけどね。誰にも見られる心配がないから照れる必要もそれほどないはずだから。

 それに、こんな恵まれた状況はわたしたちだけの特別で、今だけのチャンスでもあるわけだから。

 だから、今すぐ言って。そうしたら残りのふたりじめの時間がもっと素敵になるはずだからね。

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