ショートショート

つぶやきと目配せの向こう側

2009年11月25日 23:22

 時代遅れの無線機。お父さんが昔使っていたもので、押入れの奥から出てきた時にはすっかり埃を被っていた。

 免許が必要ないものだって話だから、こっそりと押入れからわたしの部屋に運んで古本屋で見つけた色あせた入門書を片手に使い方を覚えた。

 そこで飽きもせず、いるともわからない同じ機械を使っている誰かにむけて独り言をつぶやき続けていた。

 その日あったこと、天気のこと、好きなもの、嫌いなもの、その場で思いつくものを一言ずつ時間の許す限り、誰かに届くと信じながら。

 最初は誰かに聞いてもらえるとは思わず、本当に独り言のつもりだった。携帯電話だってあるしインターネットだってある。便利な通信手段が沢山あるし、どれだけ先に届くのかも分からない。それならずっと独り言、聞いてくれる誰かは想像の中。

 だけど、意外なことが起こったのはわたしがこっそりと独り言をばら撒くようになって一ヶ月ほど経ったことのことだった。

 その日は風邪を引いて家で寝ていた。学校を休んで、友達との約束もキャンセル。携帯に届いたメールで友達に様子を伺われながら、仕事をしている母からの電話を受けて、それでかえって家に一人でいることが寂しく感じていた。

 ぽつんと取り残されたような気持ちを無線機のマイクに話してみると、それに対する返事があったのだ。

 それは若そうな男の人の声。何者かは明かさなかったけれど、ハキハキとしていて、多分、わたしとそれほど年が離れていなさそうだった。ただ、少なくとも年上であることは確か。高校二年生のわたしの話に「僕も高校の頃は…」って言っていたから。

 ただ、その時は相手がどんな人なのかは関係なく、途方もない独り言を聞いている人がいてそれに対しての返事をくれた事が嬉しかった。だから、体調を崩しているのが嘘の様に言葉を続け、相手の言葉に聞き入った。喉が痛いことも忘れてしまうくらい。

 それからわたしたちは無線機の前に座る時間を決めて、話すことに決めた。待ち合わせならぬ話し合わせ。そんな時間がわたしの日々のスケジュールに加わった。

 わたしが相手に使う呼び名は「お兄さん」、相手がわたしに使う呼び名は「君」だ。お互いの名前も知らず、ただそう呼び合う間柄。これまでどうやって生きてきた人なのかも知らない、ただ、「今」を短い時間に言葉で共有しあうだけの関係。そんな不思議な二人になった。だけど、そんなお兄さんをわたしは学校で一緒のみんなと同じく友達だと思えた。考えてみれば、会うことがあることは違えど学校の友達も携帯電話という無線機で繋がっている。だから、使う機械の古い新しい意外は変わらないのかもしれない。

 お兄さんはすごく落ち着いた話し方でわたしの話を聞いてくれる。いつも無線で話す時はわたしが話して、お兄さんは聞き手になることが多い。

 口下手というわけではないんだろうってのは話し振りからは分かる。きっと、わたしがおしゃべり過ぎるんだろう。わたしが年下だというのも分かってるから、年上の余裕っていう奴かもしれない。

 こういう風にわたしはお兄さんに「今」を届けている。わたしの今はいつだって切実で、ハタから見れば笑い事。お兄さんはわたしの話すことに暖かに笑いながら、時にからかったり、アドヴァイスをしたりしてくれている。

​​

 わたしの今においてもっとも大きな問題は見込みのない片想いだ。

 ある日、わたしはその話をお兄さんにした。お兄さんはやっぱり笑っているようだった。そして、「片想いは片想いで楽しいものだよ。後で思い出すとね」と言っていた。わたしは相手に見えもしないのに膨れ面になっていた。だけど、少しは納得していた。でも、「それじゃイヤ」と思ったし、そうお兄さんに返した。

 この片想いって奴は子供ぽかったりするんだろうか。そりゃ、友達にも恥ずかしくて、内容がみっともなくて話せなかったりするけども。

 わたしは今、この団地で時々すれ違う男の子に片想いをしている。一目惚れってやつだ。

 相手は――苗字はなんとか知ってる。だけど、話したこともなくてすれ違った時に挨拶をするだけ。それも会釈だけの簡素なもの。つまり、わたしたちの間にコミュニケーションなんてものは面白いくらい遠いもの。

 だけど、わたしはすれ違うたびにそれはもうドキドキしてしまう。

 どこ吹く風の赤の他人。多分、相手はわたしがいなくなったって気がつかないだろう。それどころかあの挨拶も反射みたいなものなんだろう。つまり、きっとわたしを認識していない。

 わたしだってぱっと見で好みだってくらい。テレビや雑誌で芸能人を見るのと変わらない。なのに、あの男の子が頭を何度も何度もよぎっていく。そして、想像の中でどんどん大きくなっていく。

 そんな話をお兄さんに話し続けた。相手が言葉を挟むのも出来ないくらいに。

 お兄さんは最初こそ「あはは」なんて笑ってたけど、途中からわたしを諭してくれていた。

 それはわたしの声のトーンがおかしかったからだろう。

 からかわれる事が怖くて自分から冗談めかして話していた。話しているとやっぱりからかわれていく。それが急に虚しくなって、会釈以外のことを出来ない自分に嫌気が差して、気がついたら泣いていた。無線機の前には小さな小さな水溜りが出来ている。

 声もすっかり鼻声になっている。

 一目惚れくらいでここまでなるなんて正直恥ずかしいことなのかもしれない。

 話していて、ちょっと「気持ち悪い」なんて思われたらどうしようなんて、ちょっとだけ思った。なんだか、すれ違うだけの人にこんな思いつめるなんて人によってはストーカーとか思われるかもしれない。

 そんな中、お兄さんはちょっとしたアドヴァイスをくれた。お兄さんはわたしのこの自分でも馬鹿げてるって思える気持ちを、否定しないで考えてくれてるみたいだった。

 そのアドヴァイスはなんだか気が楽になる素敵なものだった。冷静に考えればあたりまえ、だけど、途方もない遠さに愕然としている状態よりも希望がある。

 お兄さんがどういうきっかけでわたしを見つけたのか知らないけど、「なんとなく」くらいに思っていたそのきっかけにすごく感謝したくなった。

 だから、その日の締めくくりの一言は「ありがとうね」だった。

​​

 何時ごろにあの男の子がここを通るかは分かっている。偶然の発見だけど、帰る時間をうまく調節すれば会う事ができるってわかってる。

 お兄さんのアドヴァイスは簡単なもの。だから、その一歩を実行してみようと思う。

「通りすがりから一歩だけ進めば変わるんじゃない?」

 そう。通りすがりでしかない現実と一目惚れの強さの間で戸惑っていたけど、でも、その間には沢山のステップがある。それを一歩進めば希望も出てくるかもしれないって思えば気が楽になった。

 まずは話をするご近所さん、それから友達に近づけばいい。そして、会釈をやめて言葉で挨拶。そして、無線の独り言のように天気の話でもすればいいんだ。

 もちろんウザイとか思われたらイヤだけど、ご近所さんにそんな風には思わないよね。きっと。

 わたしは男の子が自転車で帰ってくるのを見越して、いつもはバスを使うところを自転車での通学にすることにした。

 そして帰り。入念に時間を調整して、いつもあの人とすれ違う時間に団地の駐輪場に向かう。

 すると、男の子がちょうど駐輪場に自転車を止めようとしていた。わたしは自転車を漕ぐ速度を速め、男の子が自転車を止めた隣に飛び込んだ。

 うちの団地の駐輪場はただ屋根があるだけで、ストッパー類はなにもない。だからよかった。降りて押して入るのを慌てるあまりに忘れてしまい、急ブレーキで屋根の下に入り込んだから。

 なんとか、はみ出ずに済んだけどバランスを少し崩して転びそうになった。

「はぁ」

 わたしは少し怖かったこともあってため息をつく。

「あ、大丈夫ですか?」

 状況を頭の中で整理していた一瞬を予想だにしない声で崩されてわたしは思わず隣を向く。

「はい、大丈夫です」

 わたしは平静を装って相手の方を向いて笑顔を作る。

「ならよかった。いきなりびっくりしたぁ。お急ぎでした?」

「あ、いえ、ちょっと考え事をしてたら……。そちらこそ、大丈夫でした?」

「はい。びっくりしたくらいで」

 男の子は丁寧で思ったよりも大人っぽく笑った。もしかして、男の子なんて言ってるけど、年上だったんだろうか。見た目は幼い印象だけど。

 あれ……? この声……?

「二号棟の方ですよね。よくこの時間にお会いしてるんですけど、お気づきですか?」

「あ、はい! わたしもよくお見かけしてて。話すのは初めてですよね?」

「そうですね」

 話すのは初めて、だから今日、この瞬間まではどんな声かも知らない。それで聞いた声がこの声。ハキハキとしていて、でも落ち着いていて。大人びた声。

「あのー。いきなりなんですけど、変なこと聞いていいですか?」

「はい?」

 気がついてない? それとも違う? でも、気になる。

「無線とかされてたりします?」

「え、はい。どうしてそれを?」

「もしかして、『お兄さん』ですか?」

「『お兄さん』って。え? まさか……」

 恐る恐るわたしは相手の声に対して浮かんだ疑問を投げかける。そして、相手はわたしの問いに目を丸く見開いている。

 わたしはそんな様子を普段より多く、そして早い瞬きをして見ている。

「君はあの、無線の……」

 当たってた。わたしの疑問は正解だったみたいだった。そして、次の瞬間、お互いにどうしていいのか分からないという空気がながれて静まり返った後、急にそれがおかしくなって笑い出した。

「すごい偶然だね。近所に住んでたんだ」

「しかも、いつも無線で話してたのに、毎日会って……」

 わたしは偶然に対する驚きで少しの間頭からなくなっていた、今日、この人に話しかけた理由を突然思い出して言葉に詰まった。

「もしかして、こうやって正体がわかったのって、わたし告白したって事になるんじゃ……」

 そう言った後、あたしは顔が真夏の炎天下で日焼けしたかのように熱く感じた。昨日、見込みのない片想いを相談して泣いて、それで声をかけたら相談した相手だったなんて……。どうすればいいんだろう……?

 そして、わたしの言葉にお兄さんも困っている。気まずそうにしてる。

 あ、でも、お兄さんが昨日、アドヴァイスをくれたんだ。すごくいいアドヴァイスを。

「あ、あの。昨日、あんな話しちゃったから言いづらいけど、その……」

 沈黙がしばらくあった後でわたしが口を開くと、お兄さんは戸惑った様子で小さくでも何度も頷いた。

「友達になってください!」

 わたしがそう言うと、お兄さんは少し目をキョロキョロさせて何かを考えたみたいだった。

「こうやって顔を合わせて、でもね。うん。なろうよ、友達に」

「よかったぁ」

 考えてる間わたしはずいぶんと緊張していたのもあって、答えを聞くと急に安心して力が抜けた。

「あ、でも。昨日の話は忘れてくださいね。その、恥ずかしいから」

「そうだね。僕としてもそれだと助かる。ちょっとびっくりしすぎたし」

 その後、無線でするようにわたしたちは立ち話をした。無線で話すときと違うのはわたしが言葉をずいぶんと慎重に選んでしまってるということくらい。

 まず、今の段階では友達に軟着陸することが出来てよかった。相手はわたしの気持ちを知った上なのが難しいところだけど。しばらくは、でも、このままでいいか。

 でも、希望が過剰なのかちょっとお兄さんの気持ちが見えた気もした。これがわたしの思い込みなのかどうかはちょっとどうなのかは分からないけど。希望はある、でいいのかな。とはいえ、友達同士。それは肝に銘じないとね。

 それでも、帰り道に楽しみが出来たという点では嬉しい事とは言える。今はそれで十分。

 わたしを見つけたこと、見つけた人が悩みの元だったこと、大きな偶然も二度あれば三度あると信じればきっと毎日がもっと楽しくなるに決まっているから。

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