ショートショート
ごっこ喫茶のバリスタのためいき
2017年08月02日 22:55
これはハンドルと呼べばいいんだろうか? コーヒーミルの取っ手を回しながら少しずつ音と香りを探っていく。
正直言うとお店で挽いてもらってきたほうがおいしいけれど、春先の雨ですることともなく時間を持て余したわたしたちにはちょうどいいお茶の楽しみ方なのかもしれない。――そう、わたしがバリスタで目の前に「お客さん」がいてなんてシチュエーションでなければ。
ハンドルへの注意をその速度と一緒に少しずつ緩めていくと、わたしは唇を尖らせて目の前で香箱座りの猫の手先と表情だけを真似しているお嬢さんを呆れた目で見た。
「いい匂いねぇ。ここだとコーヒーの香りも心地よいわぁ」
「あのねぇ……」
「コーヒー、まだ足りないよ。ミルも時間がかかるもんね」
「こっちは手が疲れたわ。休憩。やりたきゃ勝手にどうぞ」
不貞腐れ気味でわたしはミルから手を離すと椅子に腰掛けた。立ったままかれこれ十五分くらい挽いていたから手も疲れたし座りたい頃でもあったんだ。
「なんだぁ、お休み?」
「じゃあ、あんたがやりなさいな」
「わたしチビだもん。様にならないよ。やっぱり、背が高くて格好いい人がやらないと! でしょ?」
「『でしょ?』じゃないっての……」
交代させようと思ったものの口から出てくるのはこれか……。
「でも、あんたはバリスタみたいで格好いいもん。男の子だったら今頃、どれだけドキドキしてたことか」
「わたしが背高いの気にしてるの知ってて言ってるでしょ?」
「気のせいよぉ」
言ってることが気のせいじゃないことは付き合いの長い身としてははっきりとわかる。一応、親友とも言える間柄だからお互いこのくらいは言えるわけだけども。
「でも、バリスタみたいで格好いいよ」
「それは聞いた」
「素敵だよ? 魅力的だよ」
友達はじっとわたしを見た。相変わらず香箱座りの真似は続けたまま上目遣いで甘えるような目つき。
これで呆けた性格さえなければ、今頃ボーイフレンドにも事欠かないだろうに。恋愛経験ゼロなのは気にしてないようだけど。
それでわたしに「魅力的」だなんて、そろそろそういうことは卒業してもいい頃だと思うんだけどね。うちに来る前にコーヒーショップに買い出しに出かけた時に読んだと聞いた古い少女小説の影響なんだそうな。古本屋で見つけて読んだら夢中になったと言っていたから。
わたしもそういう本も読むし嫌いじゃない。けれどそこで描かれているものを頭に思い浮かべると少しからかってやりたい気持ちになる。
「それじゃあ、わたしと付き合う? 今はフリーだよ?」
わたしがそう言うと友達は口元に人差し指を置く。冗談だと向こうもわかってるだろうに、どうしてこうかわいぶるかなぁ。
「じゃあ、『お姉さま』になってくださる?」
そう来ると思った。けれどあえて意地悪をしようかな?
「何それ?」
もちろん知ってはいるけども。知らないふり。
少しだけ見つめ合って、わたしの方はため息を付いたからミルを再び挽き始めた。
「さっき、話したじゃない。そういうの読んだことがあるの」
「そう……」
まったく、昭和初期の女学生じゃあるまいし、「お姉さま」なんてわたしたちの柄じゃない。
SNSのメッセージで「今日暇? 行ってもいい?」とやりとりをするわたしたちから小説の中の彼女らは程遠いでしょうに。
けど、考えてみると素敵だと思う気持ちもわかる気がする。それが友情の延長や恋愛の練習としての疑似恋愛なのかそれとも女の子同士での本当の恋愛なのかわからないけども、友達以上の間柄のわたしたちが一瞬頭をかすめた。
プラトニックなのか、それ以上のいろんなことまで関係を進めるのか。まぁ、本で描かれていたああいった関係はそもそも恋愛なのかも曖昧なものだから今の世の中の色恋のように考えちゃいけないのかもしれない。
そんな空想を目の前のわがまま姫を見ると同時にコーヒーを挽きながらしていると、だんだんまんざらでもないという気がしてきた。そう、この子、かわいいんだよね。悔しいほど。そんな相手に「お姉さま」なんて呼ばれるのもまんざらでもないのは事実なわけで。
ここが新興住宅地の建売住宅のリビングなんかじゃなく、ふたりだけしかいない 静かな庭園のきれいな藤棚の下だったとして。そこでお互いの手をとって見つめ合って何かを誓うのも悪くないかもしれない。
ありきたり。それこそ「その手」の少女小説のステレオタイプしか思いつかない自分の想像力が情けないけども、その安っぽい空想や今なんとか思い出せる小説に登場する少女たちの想い合う姿がコーヒー豆を挽くわたしとそれを待つ友達に重なった。
ミルのハンドルを回すのを再開した手が自然と止まる。一瞬、右手をハンドルから離して頬をなでようとした。
その瞬間、わたしは我に返った。
「ありえない……」
呆れとも後悔とも取れる感情でわたしは自分の空想を悔いた。
しばらく恋愛してないからかな。前の彼氏と別れるまではフリーのときも男の子とデートすることもそれなりにあったりしたわけで。
わたしはぼんやりとそれこそ「ありえない」可能性を思い浮かべながら、それを振り払うようにムキになるように豆挽きを再開した。
「ねぇ、お姉さま」
頭の中で浮かんだ空想に悩まされたわたしの苦しみを目の前にいながら何も知らない友達はまだ小説の真似を続けている。
「何かしら?」
わたしもわたしで多少はわざとらしく返事をする。
「挽き終わったコーヒーでゼリーも作ってほしいなぁ」
いつもなら「素敵な男の子に出会った時にそういうのはとっておきなさい」と言いたくなるような猫なで声で小説ごっこのお嬢さんは言う。
その言葉を聞いた瞬間に、わたしの後悔は確実なものになった。
わたしはこの子と姉妹の契りを交わして、恋すらするかもと頭の中で物語を描いていた。ほんの一瞬の空想だけどもこんなことすら思っていた。それを「悪くない」って。
けれど、そんなわたしが馬鹿だった。さて、今わたしたちがしなければならないことは何なのか。我に返ってミルの中の豆がさっきまで入っていたコーヒー屋さんの袋が目に入ると思い出した。
ゴリゴリという音を立てるミルのハンドルを回す手を止めてわたしはさっきとは違う気持ちで目の前の友達を見つめた。
そりゃあ、わたしが女の子に恋をできるならこの子を選ぶけどね。残念ながらわたしはそうじゃないし、本の真似をすることも柄じゃない。それよりもこの雨のけだるい午後の目的が大事。
「どうしたの?」
唇を尖らせて腰に手を当てて自分をじっと見たわたしに友達は違和感を覚えたらしい。
わたしはミルを差し出して椅子に腰掛けた。思ったよりも腕に疲労感がある。
「とりあえず、交代。わたし、疲れちゃった。後はまかせた」
「えー!? でもぉ……」
ミルをこちらに戻そうとしてきたがそっぽを向いたわたし。どうやら「かわいい妹君」はできないと観念したらしい。
友達はしぶしぶコーヒーを挽き始めた。わたしはそれを頬杖をついて見ている。
不貞腐れた様子で今度は向こうが唇を尖らせてふぐのようにほっぺたを膨らませた。
そんな様子を見ていて、さっきはドキッとする感じがしたんだけども、それとは別に「かわいいな」という気持ちが蘇ってきた。
コーヒーが挽き終わるまでのあと少しの時間、この近い距離でいつもと違う気持ちでいつもの友情と違う気持ちをわたしも味わわせてもらうことにしよう。