ショートショート

いつかまでの隠し事

2009年07月17日 1:11

 パンケーキを三人分頼んで一気に重ねてタワーが出来た。

 わたしたちは重ねる時に支えで使ったフォークをタイミングを合わせてそっと離す。

 緊張の一瞬。息が詰まる数秒間。

 重ねるときよりもこの時の方が緊張するかもしれない。だけど、わたしたちの無駄な努力の結晶はテーブルの高台に見事に聳え立っている。

 こうなってしまえば躊躇する事はない。支えに使ったフォークを容赦なく突き刺す。

 わたしは一枚を広く。あなたは狭く立て一列に。

 仲良しだけど、こういうところに違いが出る。ヘアピンもストラップもおそろいだったりよくて色違いだったりするけど、正反対な事もあるから面白い。少なくともわたしはそう思うんだ。

 違いがあれば発見があるって事だから。発見があればわたしは嬉しい。

「これはホイップがほしいところだねぇ」

 わたしの無邪気な親友は喉の奥に送り込んだパンケーキの破片が刺さっていたフォークを縦にして軽くくわえながら言う。

「おいしそうだね」

「ミルクレープみたいにするんだよ。間に塗るわけ。で、てっぺんにはお約束のシロップとバター。どうかなぁ?」

「おいしそう! けど、太りそう……」

 わたしが言うと友達は「そいつは問題よねぇ」とフォークを持ったまま腕を組んで言う。わたしはそれにうんうんと首にバネを仕込んだ人形の様に何度もうなずいている。

 とはいえ、三人分を二人で食べようとしてる段階で、すでに太る心配なんて説得力がないわけだけど。けど、それは言わない約束。こいつは一種の思考実験。できない小さな贅沢を並べてみてその気分だけを味わう為の会話だから。こうして「もし」を並べていけば、今目の前にある幸せが何倍にも増幅して味わえる。空腹は最高のソースだそうだけど、空想だって負けてはいない。大人の世界じゃ「もし」はナンセンスなんだろうけど、それなら今のわたしたちの特権だからよけいにおいしくもなるもんだ。

 わたしは何度か噛み損ねてしまったのかパンケーキを喉に詰まらせそうになって慌ててキャラメルマキアートを飲み干す。向かいの席で友達はというとそれにあわせるように同じタイミングでシャーベットみたいなココアを飲んでいる。

 飲み終えてストローを口から離すと向こうは安心したような顔をしてる。

 そうか、喉を詰まらせたんだ。わたしと一緒。こういうタイミングってどういうわけか被る事が多いんだ。

 身につけてる小物といい、デザートを喉に詰まらせるタイミングといい、発見とは違う意味で同じ事があったりすると嬉しくなる。なんか、わたしたちの心がどこかで繋がってるみたいで、それがなんかもっとお互いを近く感じるから。

 でも、一番一緒でいて欲しいものはどうしても同じにならない。そこだけはどれだけ偶然が重なっても一緒なんて事はありえなさそう。

 わたしはそれぞれのやり方で半分ずつ崩されるパンケーキを見たり食べたりを繰り返しながら頭の隅っこで考えてみた。このパンケーキはわたしたちの事なのかもしれない。重なってる分全てが削られていく向こう側と一枚一枚はがされていくこちら側。たぶん、この違いは仲良しでもなくならない違いをはっきりと表してるんだ。

 この違いもわたしの望む違いも目の前で自分の分を食べ終えてシャリシャリとミルクに浮かぶ凍ったココアを噛み砕いてる友達は知らない。できれば知らないでいて欲しい。

 知ったらこの子はきっとわたしと距離を作る。わたしがその立場ならそうせずにはいられないと思うから仕方ないと思う。

 それに、これ、この気持ちってわたしにとっても間違いなんだ。たぶん、長い人生、これから先、同じような気持ちを持つ事はないはずだから。初めての事で比較しようがないけど、例外だってのはなんだか凄く分かる。

 そうじゃないと、道行くかっこいい男の子に見とれるのが癖のわたしが女の子である親友に恋するなんてありえないはずだから。

 そうなんだ。恋なんだよね。嫌って程、自覚してる。

 口に入った物を無言で噛んでいる間の短い沈黙はよせばいいのにわたしにそんな事を自覚させる。考えないようにはしてはいるけど、それでもどうしても油断するとこういう落ち着かない物が風邪の寒気の様に全身を襲うんだ。好きな人への気持ちが暴れるのを最初に感電に例えた人はえらいと思うよ。

 今日終わったばかりのテストの感想とか話しながらわたしたちは自分達の残りの分を食べ終えた。すると向かいに座る友達はいきなり立ち上がって窓の向こうを指差した。

「よし、海に行こうか」

「え?」

「いや、なんとなく。テスト終わったから開放感っていうの? そういうの」

「それで、まぁ、いいたい事はわかるかな」

「うん。じゃ、お願い!」

​​

 さっきまでカロリーを浴びるように食べていた駅前のカフェを出てわたしは自転車を漕ぎ出した。

 1.5人分のパンケーキに加えてキャラメルマキアートにブラウンシュガーを入れてたんだから、体重計に乗るのが怖くてしょうがない。自転車を漕ぐのに必要な力がいつもの二倍なのがせめてもの救い。

 というのも自転車を持っていない友達が後ろに乗ってるから。海に行きたいと言い出したら大抵はこうしてわたしの自転車に彼女を乗せて延々と漕いでいく。人の多い駅前と違って海沿いの公園は平日はとっても静か。だから公演の入り口にあるコンビニでお菓子を買ったり手ぶらで行ったりして何時間もどうでもいい話をしたりお互いに黙ってたりする。

 人の少ない広い場所にいるのがなんだか特別な気分を味わえて楽しいんだ。ありふれた青春映画みたいかもしれないけど、それって結構、わたしたちくらいの中途半端な年ですら追い立てられるあわただしさから逃げられる心地よい時間だったりする。

 そして、わたしにとっては心地よい時間は海に着いてからだけじゃない、海に着くまでも大切だ。

 この自転車の乗客は荷台に乗るとバランスをとりづらいから、いつもわたしに掴まって乗っている。そうなると、背中に彼女を感じられるから落ち着かないけどなんだか恋人同士みたいに思えて嬉しいんだ。落ち着かないけど、向こうにわたしの顔は見えないから悟られずに堂々とこの一方的な幸せに浸れる。

 そんなわたしの気持ちを向こうは知りもしないわけで、だからのんきにカフェでの話の続きをしている。カタオモイのスレチガイ。そんなところ。

 だけど、そんな時間はそれほど長くはなくて顔をほころばせながら彼女の話を聞いてるうちに海に着いてしまった。

 わたしたちは入り口近くのコンビニでお茶を買って自転車を押して海岸へと向かった。

 わたしたちがいつも行くのは茂みの間に隠れた獣道みたいな細い道を抜けたところにある岩で隠れた場所だ。

 ここは小さな頃に彼女が見つけた場所だそうで、わたしたちが誰にも邪魔されずに秘密を打ち明けたり、気持ちを共有したり出来る特別な場所だ。

 細道を小枝にぶつかりながら連れてきた自転車を草むらに停めて、わたしたちは砂浜との間に出来た低い土の段差に腰掛けた。

 風が低木を小さく揺らす。その風がわたしたちの頬をなでて少しだけど涼しさを届けてくれる。わたしたちはどちらともなくお互いを見る。まるでサスペンス映画の共犯者同士がやるように無言で笑いあう。

 これは誰も知らない時間と空間を共有する優越感。話を始めるのはどちらからか。それが彼女だってすぐにわかった。それはそれほど時間が経たないうちに海の方を見たからだ。何か言おうとする準備だ。

「誰かの事をさ、無意識のうちに考えてる事ってある?」

「誰か?」

「うん。ある?」

 彼女の話の出だしはもったいぶったり謎賭けだったり。だけど、それほど難しいものじゃない。わたしは分からない振りをしながら彼女の言おうとしてる事を海を見る目から察した。

「あるかなー? そういう事、聞くって事はあるんだよね?」

「うん」

「『気になる人』って事?」

「『好きな人』かなぁ。まだよく知らないけど、思い出すとねなんか落ち着かなくてさ」

「ふーん」

 わたしは「よくわならない」というポーズのつもりでそんな声を出した。だけど、内心はすごく動揺してた。「好きな人」か。

 遠くを見てるからわたしじゃない。それは確か。当たり前だ。わたしは女なわけだから。

「向こうはどうなの?」

「わからない。けど、わたしは会うたびに好きになっていくのがわかるんだ」

 そう言って、彼女はその知り合ったばかりの「彼」の話を始めた。どこかわたしの知らない人だと思っていたらわたしの何人かいる男友達のひとりだったりしてで拍子抜けしたけど、その男の子はわたしの中学の同級生でわたしの知る範囲、今はフリーだし悪い人じゃない。それを言うと彼女は安心したようなそぶりを見せた。そして、目にはしっかりわたしに頼りたいという事が書いている。

 なんだか、そんな様子がすごくかわいく感じた。話を聞くと彼女は言葉にする「彼」という言葉の意味を変えたいんだろうなって事がすごくわかる。今は「この場にいない男の人」を指す意味だけど、「わたしの特別な人」の意味でそう言いたいんだって事が伝わってくる。友達の恋を応援する事って実は幸せな事なのかもしれない。

 ただし、友情の中に恋が隠れてさえいなければ。

 わたしはすぐ近くで「うんうん」と聞いているけど、いつかはこんな話される時が来るだろう事もわかってたけど、やっぱり聞いてて辛い話だ。応援したいって矛盾した気持ちもあるから余計にそれで頭の中をかき乱されるような心地だ。

 それに彼女の不安も伝わってくる。だって、その不安はわたしが彼女に対して感じているものだから。好きって気持ちはこうしてとらえどころのない怖さを胸の中に広げていく。

「はぁ」

 わたしと彼女はそれこそ示し合わせたかのように同じタイミングでため息をついた。

 こういうところだけは同じなんだよね。一番同じでいて欲しいものはこうして違う事を突きつけていくっていうのに。

「あんたまでため息つくことないでしょ」

 彼女は笑いながら言う。

「あんたも好きな人、いるの?」

「えっ? どうして?」

「その様子を見るといるんだね。そっかぁ」

 彼女は満足そうにうなずいて話し始めたときの様に海を見る。そして、後ろの方に少し体をそらせて「お互い頑張ろうね」って付け加えた。

 うん。がんばってね。――わたしは無言でそちらに目を向けてそう言いかけた。

 これは言ってあげたいけど、言えない。言えば辛くなってしまうから。

 代わりの言葉を探していると急に不意打ちを喰らった。彼女が急にわたしにもたれかかってきた。わたしはびっくりして隣を見た。

「テスト勉強、今回頑張ったから寝不足なんだ。自転車漕がせた上に悪いけど少しこうさせて」

 そう言って、首をカクンと下げた。

 心臓がはねるような感じがする。これ、くっつかれてるのに気付かれないのかな?

 眠ってはいないけど、目を閉じてる彼女の方をそっと見る。この間は無言。きっと彼女は隣のクラスの「彼」の事を考えてるんだろう。

「ねぇ」

「……何?」

 彼女はわたしが顔を覗いていると目を開けずに口を開いた。わたしは彼女を見ている表情を悟られないか怖くなって少し遅れてそれに返した。動揺、してる。

「あんたの好きな人ってどんな人?」

「え?」

「今ね彼の事を考えてて、あんたも同じ気持ちなんだなって思ったら気になったの」

「……。さぁね。よく、わからない、かな?」

「なんだそれ? あはは」

 どんな人かなんて答えられるわけがない。だって、わたしの好きな人は今、わたしにもたれかかりながら誰かさんの事を想っているから。だから、そんな風に誤魔化す。

 そんなわたしを彼女が笑うのはわたしがよく言葉に詰まって「言いたい事はイメージできるけど言葉が見つからない」って言うのを何度も聞いてるからだろう。

「どんな人でもいいや。お互い、その人と付き合うことができたら報告しようね。これは約束」

 そう言ってわたしにもたれかかったまま彼女は笑った。そして、また途中からあけてた目をまた閉じた。わたしはあいまいに「そうだね」と返した。

 そしてまた始まる柔らかい無言。彼女は「彼」の事を考えながらわたしを止まり木にしている。わたしはそんな彼女のやわかさを感じながら遠くを眺めてる。

 彼女の「好き」は来るか分からない幸せな未来へ向かおうとしている。わたしの「好き」は片想い前提でそれ以上でもそれ以下でもない。

 たぶん、友達である彼女に恋をしている期間は短いんだと思う。今はこうして何でもない振りをしながら気持ちを隠してるけど、きっと、何年かしたら普段、すれ違って見惚れる男の子の中の誰かを好きになって、彼女のように不安をここで打ち明けてるんだと思う。

 それまでは、きっと応援したい気持ちにかき乱されながら悲しくもなっているんだろうな。

 でも、こうして友達としての、止まり木にもなれる近い距離と信頼に助けられてありもしない両想いを想像したりはできるんだ。それはナンセンスかもしれない。でも、叶わないならせめて「もし」くらいは考えさせて欲しい。

 重ねただけのパンケーキの間にホイップを想像して幸せを増幅したように、好きな人と過ごせる同性の友達だけが許される近い距離を恋人同士のそれだと空想していられればいいんだと思う。

 だって、それも今だけだから。絶対に言葉にして伝えないけど、わたしからのお願いをさせて。

 あなたの様に隙があれば考えてしまうような素敵な人に出会える時が来るまで、それほど長くない時間だから、こうして好きでいさせてね。

 永遠に内緒だけど、これがわたしからのお願い。

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