ショートショート

あじさい色とジンジャーフレイバーの秘密

2009年06月16日 0:44

 雨足が止むまでの間、なんとなくわたしたちは黙ったままいた。

 君がこの部屋に来るのはいつ以来だろう?

 きっと、わたしたちが「ともだち」じゃなくなるよりもずっと前。どっちが先かはわからないけど、わたしか君のどっちかが「ただのともだち」だと思えなくなった頃には来なくなっていたのは確か。

 久しぶりにこの部屋に入った君はなんだか困った顔をしてた。それはきっと女の子の部屋に慣れないからとわたしの部屋だからだよね。

 そわそわしてるのがなんだかおかしくて、どんな風にからかおうかなんて考えながら君を置き去りにしてキッチンにティーポッドを取りに行った。

 君がここに来たのは傘を忘れて慌てて走っていた所に買い物帰りのわたしが偶然出くわしたんだ。まだそれ程びしょぬれじゃなかったけど、急に雨足が強くなったから、近かったからうちで雨宿りにする事になった。

 本当に偶然なんだけど、その偶然にはどうしても感謝しないといけないね。

 戻るとやってくるのはお茶の時間。体が冷えてるだろうからちょうどいいなって思ったから。

 君は紅茶ってあんまり飲まないんだってね。でも、何となく君にも飲んで欲しいなって思ったんだ。

 今日は夜になると寒くなるって行ってたから、在庫処分の値引き品で申し訳ないけど、ジンジャーティにしたよ。ミントとアップルが入ったのもあるんだけど、温まった方がいいに決まってるからね。

 わたしと君はベッドの上。小さな部屋ではソファーはベッドのかわりになる。

 残念だけど、ソファーが欲しくても置けるだけのスペースなんてないんだよね。

 ベッドを諦めて布団をしまえばソファーに変わるカバーとか買おうと思ったど、ものぐさなわたしじゃすぐにクローゼットの住人にしていまいそうで、なんだかね。

 でもいいの。ベッドに腰掛けてるのもソファーよりも位置が高いから適度に緊張感が保てるもの。好きな人のすぐ横でだらけるなんてしたくないし。

 どんなにお互いを良く知っていたって、前の「わたしたち」とは違うんだもん。

 そんな事を考えながら他愛も無い話をしてたらわたしの方は緊張してきたんだけど、君の方はリラックスしてきたみたいだね。

 そして、話が尽きるとなんとなく黙ってみたりしてふたりで雨音を聞いてた。

 雨音は目が覚めたときに聞くと嫌な気持ちになるものだけど、何にもない時間に聞くとなんだか心地いい。

 わたしは無意識のうちに君に近づいていた。そして、体をぴったりくっつけてもたれかかっていた。

 君はせっかくリラックスしてたのに、わたしのせいでまだ緊張してしまったみたい。わたしの目はベッドの反対側の壁を見てるけどサシェのローズマリーの香りにまぎれて伝わってくる一瞬の振るえでなんとなくわかる。

 わたしもなんだか照れくさい。

 ふたりきりの時間は「今のわたしたち」に変わってからまだあんまり経験してないからね。学校で会うんじゃしかたがないよね。クラスのみんなもいるし、帰る時にも照れくさいし友達との付き合いもあるわけだしね。

 でも、こうしてふたりでぴったりくっついてるとわたしたちが「コイビト」だってなんとなく実感できる。「なんとなく」ではあるけどね。照れくさくてちょっと認めきれないのと、お互いにともだちが長かったし、まだそういう関係がどういうものなのか良く知らないから。

 とはいえ、ドラマはちょっぴり嘘なのかなとか少しだけは思うんだ。わたしたちが子供なだけかもしれないけれど。

 目が泳いでるんだろうな。ここからじゃドアの近くの全身鏡が見えないからわからないけど、戸惑ってるのは嫌ってほど自覚してるんだもん。

 枕元に置いておいた雑誌のモデルがしてたようなイタズラっぽい顔をしてわたしは君の方に目を向けた。

 君のほうが背が高いからわたしのあごは君の肩の上。目と目はとっても近いからわたしの視界は気味で満たされてる。君は少し驚いたあと、ぎこちなく笑ってみせる。

 この距離ってすごく新鮮。そして、ちょっぴり怖い。

 表情だけのやりとり。なんだか言葉がみつからないけど、それで十分な事はお互いに理解しているはず。少なくともわたしはそうだよ。

 お互いの目を見ながら雨音を聞いてると、自然とお互いが近づいていく。

 胸の中に何かが注ぎ込まれるような気分。このまま目は開けていていいかな?

 息がくすぐったいよ。あ、そうか、君も同じか。じゃあ、止めればいいかな?

 さぁ、あと少し。

​​

「おーい、夕飯どうするんだ?」

​​

 ……サイアク。

 余計な雷。雨降りだけど青天のヘキレキ。

 ノックと共に兄という名の雷様はドア越しに大きな声でゴロゴロ鳴ってる。

「バカ……」

 わたしは唇を尖らせてドアを開けると、事情を知らない兄を責めるように睨み付けた。

「何?」

「だから、夕飯どうするんだよ? なぁ、食べてくか?」

 兄は中に身を乗り出して、ベッドに腰掛けてきょとんとしてる彼に尋ねる。

 全てが台無し! ……まぁ、裏に住んでる妹の友達程度にしか認識して無いだろうから、部屋の中のあの心地よい空気なんて想像できやしないだろうけど。だから仕方ないのはわかってるけど、でも、許せない気分。

「あ、どう……」

 彼は気まずそうに言葉を捜してる。気まずいはずだよね。わたしが逆の立場でも辛いはずだよ。そんな事が許せなくてわたしはのんきな兄を無言でにらみつけてる。

「あ、雨弱くなったみたいだ。俺、そろそろ帰るよ」

「なんだ、そうか。わかったじゃあ、母さんに言ってくるわ。あ、そうだ。お前、家まで送ってやれよ。傘持ってきてないんだろ?」

 そう言いつけると兄はガサツな足あと共に居間へ消えて行った。

 わたしはそんな足音ですら腹立たしくてドアを閉めた。

「ごめんね」

「何が?」

「その。ほら……」

 わたしが言葉に詰まると君は静かに笑った。わたしもそれに合わせて笑う。

「ちょっと、あの後におじさんやおばさんと顔あわせるのはキツイかな」

「そうだよね」

「うん」

「じゃあ、行こうか。うちのバカ兄が唯一いい事、言ってくれたし」

「何?」

「『送ってってやれ』って」

「そっか」

「だから行こうか」

「そうだね」

 わたしたちはそう言ってしばらくお互いを見てた。さっきの近い距離が名残惜しいのと、兄が現れてなんだかまだともだちだった頃に戻ったようなアンバランスな気分になったからなんだか動けなかったんだよね。

 とはいえ、家の中にいると「ともだち寄り」にどうしてもなっちゃいそうだから、そろそろ出かけた方がいいかもしれないね。もう少し君には近づいていたい気分なんだ。

​​

 君の左手には開いた傘。わたしの左手は閉じた傘。

 一つでいいんだけど、わたしたちの事を何も知らないおせっかいな家族には不自然に見えるから言われるままに父さんの傘とわたしの傘の二つを持って行く事になったんだ。

 大きな父さんの傘の下でわたしと君がふたりきり。歩いてるから部屋の様にはいかないけど、それでもお互いの距離は十分近い。

 梅雨に入るとどうしても嫌な気持ちだけど、こうしてると雨がすごく心地よく思える。 そこにある会話はやっぱり他愛も無い話。小さい頃からずっと続けてきたものなわけだけど。でも、そこにあるアイコンタクトは違っている。適度な緊張感、適度な親密感。

「あ……」

 ふと空き地の前でわたしは足を止める。この空き地は少し前まで古い家が建っていた。

 長らく空き家だった夜になると不気味な家。だけど、昼間は大人たちに駄目だって言われるけど最高の遊び場ではあったんだよね。

 持ち主の人がマンションを建てるだとか取り壊して空き地にしちゃったんだけど、生垣の様に生い茂るあじさいは残ってたんだ。

「なんかこれを見ると6月だなって感じがするよな」

「そうだね」

 わたしはかがんで花びらについた雫を指ではじいてみる。わたしは小さい頃から雨が嫌いだけど、あじさいは好きなんだ。あとはコンフリー。紫色の花ってなんだか愛らしくて見てるだけで嬉しい気分になる。

 街灯の色で暗く見えるのが残念だけど、やっぱり雫を従えたあじさいはなんだか見てて心地いい。しっとりとして包み込まれるような気分をくれる。

「あいかわらずだなぁ」

 そう言って君もわたしの横でかがむ。わたしは君の方を向いて「あいかわらずだよ」って返す。

 こういうのを「ともだちとコイビトの交錯」って呼んだらいいのかな? 部屋の騒動の後はともだち寄りだけど、今度はコイビト寄り。これも立派なデートだよね。

 さっきみたいに笑いあう暇は今のわたしたちにはなかった。思ったよりわたしと君の距離は近かったんだ。

 それも、君は狙ってこんなに近くにかがんだんじゃない。かがむ動作の誤差のせい。

 だから君はまた緊張してる。ともだちじゃないのを意識してるせいだろうね。

「ねぇ、いいでしょ?」

「へ?」

 わたしは距離を変えようとする君を逃がさず、すばやくキスをする。

 ほんの一瞬。わたしのくちびるは君に触れた触れた後、すぐに離れる。だけど、目と目の距離はまだ近いまま。

 なんか、満足したっていうか、おかしかった。だから、口元を緩めてにこにこしてるわたしがいる。

 君はすごく照れてるのに苦笑いする見たいな顔をして照れ隠しをしてる。

 どうしていいのかわからないからもう一度、キスをする事にする。

 今度はわたしの不意打ちなんかじゃなくてお互いから。そして、具体的にどのくらいかはわからないけど、さっきよりも長く。どんな感触かを考えられるくらいに。

 くちびるは柔らかいけど、家を出る前に慌てて飲んだジンジャーティの残りのせいね。少しだけショウガの味がした。ファーストキスがショウガだなんてちょっと格好悪いけど。

 君は立ち上がって周囲をキョロキョロ見てる。わたしはかがんだままそれを見てたけど、手を差し出されたからその助けで立ち上がる。

「誰もいない?」

「いなかったみたい」

「いたって傘で見えないから大丈夫だよ」

「そういう問題か?」

「どうだろうね」

 緊張の先。怖かった胸の感触が心地よさに変わってるのがわかった。ともだちとしての心地よさとも違う、もっと深い感じ。何年か前、それ程遠くない過去に君に会うのが怖かった感覚の進化系みたいなもの。両想いの感触っていうことなんだと思う。

 わたしたちはなんとなく歩き出す。君の家は近いから道のりを伸ばす為に寄り道したいけど、家に帰ってからがややこしいからあじさいの前の出来事だけにしておかないと。

 空き地の前を去るときにわたしは小さく手を振った。

 君は「どうした?」とか聞いたけど、なんか、わたしの気持ちはわかってるみたいだった。当りかどうかは別としてね。

 ショウガ味のファーストキスじゃあ、やっぱりなんだか嫌だからせめて色はあじさい色を選びたかったって事なんだよね。

 不本意があったって満足だって、どっちにしても二回のキスでわたしたちはコイビトに振り切れた気がすることは確かなんだ。

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