雨音と耳に届く優しさ
2013年01月24日 23:49
今日は晴れると思っていた。だから傘を持っていない。
朝起きたら雲はたしかに多かった気はするけれど、空は青くこの季節にしては高くて、太陽も誇らしげに光っていた。
海辺を散歩したあと家へ向かう途中で雨に降られてしまった。最初は小雨だったからそのまま急ごうと走り出したけれど、雨が強くなり始めるまではあっという間だった。
雲は暑くてこの軒先にいつまでいることになるのかわからずわたしは不安といっしょに待ちぼうけ。
ここで雨宿りをはじめてから、人通りもなくて耳も雨音に慣れてしまったからよけいに静かで心細さはどんどんわたしの中に染み込んでくる。
羽織りものがほしい。そう、そんなに寒くならないからと、この天気では雨雲はやって来ないからと、そう思って出かけたあの晴れへの油断に悔いていながらただここで立ち尽くすだけ。
だけどふと聞こえた足音にわたしは顔を向けて、この捉えどころのないそして行き所の無い寂しさに救いを求めるかの如くその主の姿を見ていた。
「あ…」
雨音にかき消されるほど小さくわたしはつぶやく。
大きな荷物を持った書生。その人はこのすぐ近くの商家に居候をしている学生。家の遣いで時折商家を訪れた時にたわいも無い言葉を話すほどの間柄だが、知らぬ人ではない。
この言葉で綴るには霧のように薄く曖昧な気持ちに僅かではあるけれど救いが贈られたような気持ちだ。
「やぁ、こんにちは。雨宿りですか?」
「突然に降られてしまって」
「そうですか。この分だとあと1時間はやみそうにない。僕の村ではもう少し遅くこういう日が続く頃があるんです。それに似ている」
「晴れだと思っていたのに…」
「そういう人は多いようですね。濡れ鼠に幾人もすれ違いました」
書生さんはそう言うと傘を差し出した。
「この傘をお使いなさい。まだ日の暮れは早い。あなたのような娘さんがこんなところにいつまでもいるのはよくはない」
「でも…」
「僕は外套がありますから」
書生さんはそう言って笑った。
「だけども悪いです! その、なにか大切なものをお持ちのようですし」
わたしは大きな瓢箪のような、大きな箱に目をやった。書生さんはまだ笑みを変えてはいない。
「このケース…箱は頑丈でね。雨だって平気です。それよりもあなただ」
わたしは返す言葉が見つからず顔をそむけた。いや、書生さんが私の顔をのぞきこんだから、でもある。
「強情な方だ…」
書生さんははははと笑ながら傘を閉じて軒先に入りわたしの隣に立ち空を見た。
「まだやみそうにはないな」
どこか楽しそうに言う書生さんの様子をわたしはどうも理解できないた。学のある方なりの冗談なのだろうか。
「あの…」
「ではここで共に待ちましょう。心細そうでしたし、僕も置いてはいけない。こうして話し相手でもいればこの雨も退屈でも寂しいものでもなくなるかもしれません」
そう言って書生さんは笑った。
そして、今日、港に出かけた話を始めた。
書生さんの持っている大きな荷物はそこで異人さんたちとはじめた音楽のための楽器なんだそうだ。
最初こそしっかりと聞いていたものの途中からわたしにはいつも凛とした書生さんがとは違う子供のようなところが珍しくそちらのほうばかりに目が言ってしまっていた。
ときどきこちらを向く時に思わず目をそらしてしまう。
うれしい、だけど、なんだか苦しい。
書生さんに感じていた不思議さがいまこの時にわたしの中にあるのだと気がついた。
この気持ちは古い唄にあるものとおなじなのだろうか。
ただ、わたしはそれを決めるにはあまりにもなにも知らなさすぎていることだけは確かだった。
だけど、この雨は今この時だけはよいものだと思える事は確かなことだった。